自民党は無能に見えるが

また雑感。もう面倒なので感想を箇条書きで。

自民党は無能に見えるが民主党は気がふれているように見える。無能でも気がふれているのでもなくこれが政局なのだという意見もあるけど(例えばわかりやすいのがこれ)、今後5年間の日本の将来を駆け引きの材料に使っている時点で十分無能だし気がふれていると僕は思う。

「財金分離」には意味がないことは僕も書いたし他にも有名な先生方も書いているけれども(例えばこれ)、こんなナンセンスを錦の御旗に掲げている民主党の姿は本当に気がふれているとしか思えない。

「財金分離」だとすると財務省出身者は自動的にアウト。そうなると日銀出身か学者かになるだろうが、日銀出身者だけで透明性が確保できるのだろうか。例えば昨年のリーク問題のような問題について、日銀出身者だけの執行部でまともに対応できるとは僕には思えない。

そもそも、日銀出身にしても学者にしても、今回のスキームでは実質的に民主党の支持する金融政策に親和的な者が選ばれることになる。そして恐ろしいことに民主党の主張する「低金利政策の転換・正常化」という金融政策の方針は完全に間違っている。民主党の望む金融政策が実施されたらとんでもないことになる。

その意味で、前には誰が総裁になっても影響は限定的、と書いたけれど、ここまで人事に民主党の影響が強い場合、そうも言っていられないような気がしてきた。以前には最悪でも今後も今までと同じ金融政策方針が続くと考えていたけれど、もしかしたらもっと過激なことをやりかねない雰囲気が醸し出されてきた気がする。これは本当に恐ろしい。

しかも野党である民主党は万一人事が失敗したことが明らかになったとしても責任を取れない。失うものが何もないから。前の金融国会のときも民主党の反対で銀行への資金注入がtoo little too lateになった*1けど(参考)、結局民主党は何の責任も取ってない。というか野党はその存在からして責任なんか取りようがないのだ。ただ消えていくだけだ。

ということで無責任な連中のいうがままになってしまう可能性がある現行の日銀法は本当に欠陥法案としか思えない。早急に改正して与党のみ総裁人事に関われるように変更するべきだろう。ついでに「独立性」に制限を加えて日銀に結果責任をより明確にとらせるようにすると尚良い。もう遅いかもしれないけど。



つくづく僕は思うのだけれど、こうした一連の出来事を招いた遠因は、日本の根強い反知性主義にあると思う。前にこの言葉を定義なしで使ってちょっと混乱したんで、ご参考までに、僕の考える反知性主義とは例えば以下のようなもの(定義とはいえないけど。これについてはいづれまた書きたい)。yumyumさんのところからの孫引き。

 OECDのテストでトップクラスのカナダ、韓国の留学生や、よく勉強する中国の留学生に、日本の教育についてどう思うか聞いた。皆親日家なことは論を待たない。

 だが彼らは異口同音に言う。「日本ほど学ぶことを馬鹿にしきっている社会はみたことがない」。社会では、学校でやったことは役にたたない、という言い方が充満し、学校では、勉強するのは空気が読めないKYだけであり、寝るところと思っているものが多いからだ。

 小学校低学年までは、子供はぐんぐん伸びる。知る喜び、大きくなる喜びと責任感で伸びる。だが大きくなるにつれて伸びたがらなくなる。社会がそんなこと無駄だ、要領よく立ち回り、面倒は人に押し付けろ、と毎日言っているからではないか?(朝日新聞より)

特にこと経済学に関しては、それが役に立たないどころか害にすらなると考えている人間が多いように思う(いまだに「金儲けの学問」だと思っている人々もいる)。始末に負えないことには「経済学者」がそういった見解を喧伝している例もある。こんな連中は論外だし、それに乗ってしまうマスコミも国民もひどいのだけれども、しかし一方で、理論を重視し応用を軽く見る日本の経済学者の傾向もこれに拍車をかけているような気がする。自然科学とは異なり、応用を前提としない社会科学というのは語義矛盾なんじゃないかと僕は思う。

なんにしてもこの学問を馬鹿にする風潮が今回の民主党の行動を生んでいるように思えてならない。言ってしまえば日本全体で見れば自業自得な訳だ。ミクロで見ても、心の狭い僕は今後、民主党支持者が経済的に困窮することがあっても今までのように素直に同情できないような気がする。



既にGDPデフレータは2006年のレベルに戻ってしまっている(参照)。この状況ではスタグフレーションなど起こるはずがない。これから起こるのはただの不況だ。つまり、本来正しい政策が行われていれば、回避とは行かなくとも影響を緩和できた不況だ。

もうなんだか本当に馬鹿らしくなってきたのでしばらくの間はせいぜい海外旅行を楽しむことにしようと思う。なんだか今が、日本人が気軽に海外に旅行できた最後の時代になるような気がしてきたよ。いくら日本でもこれがあと5年続いたら持たないよ。また三等国からやりなおしですか。では皆さんごきげんよう

*1:3/20、id:NaOさんのご指摘(http://d.hatena.ne.jp/NaO/20080319#p1)により訂正。too littleになったわけではないとのこと。詳細はNaOさんのエントリご参照。NaOさんご指摘ありがとうございました。

雑感

昨日みたいに堅苦しく書くと面倒なので簡単につらつら思うところを書いてみる。

fedの対応。びっくりというか流石というか。問題の根本的な解決にはならないという意見には全面的にagreeだけれども、何でもやると言った後に本当に何でもやりかねないふいんきなぜか変換できない)を醸し出した点を評価する。その意味では今後は対応を小出しにしても許される状況を作ったのじゃなかろうか。期待(expectation)のコントロールは重要。

今回のごたごたについては基本的に去年夏に書いた見通しから大きく外れているとは思ってなかったりして。唯一変更の要ありは米国がリセッションに陥った可能性が高いことくらいかなあ。でもLTCMの件を何でもアリで乗り切った国だからねえ。今回も普通の景気循環と同じ1年くらいで回復するだろうと思っとります。甘いかな。それよりドル崩壊とか言ってる論者は本当に欧州や中国やロシアやブラジルやインドが近々米国に取って代わることが出来ると信じているんだろうか。不思議也。

ちなみに今の米国において、今後も利下げが不可避であるとの見通しの中、インフレ率がそれほど上昇しないのは、やはりバーナンキがインタゲ論者であるが故だと思ったりしている。期待のコントロールは本当に重要。

一方ついニヤニヤしてしまうのはfedの対応が遅いだの稚拙だのと言っていた日本の市場関係者の言。fedが本当にケチャップでも何でも買うという姿勢を見せはじめた一方、日本の有様はなんたることか。

とは言っても、実は僕は韓リフ先生と同様、日銀総裁の席が空白の期間があっても実質的な影響は限定的だと思ってたりして。だってこれ以上悪くなりようがないし。今日発表になったGDPデフレータを御参照。正直総裁人事がどうなろうと日本はしばらくダメでしょう。また同じことの繰り返し也。勿論伊藤先生が(何かの間違いでw)総裁になるようなことがあれば全く話は別だけど。でもこれだけ深く根付いたデフレ期待をひっくり返すのは相当大変だろうなあ。

そして民主党は予想通り白川氏以外は同意せず。日銀は自民を見限って民主と一蓮托生の腹を括ったんですかねえ。思い切ったことするなあ。これで次回選挙で自民が圧勝すれば日銀法改正かなあ。わくわく。

この点で爆笑したのがBaatarismさんのところの銅鑼衣紋さんのコメント。するってえとアレですか、国体明徴運動は財政健全化の一連の流れってことで。中央銀行機関説問題とか言ったりして。わはは。何にせよ政権争いのために余計な問題を引っ張り込んで事態を一層悪化させちゃう構図が全く同じ点で激しくがっかりであります。南無南無。

ところで昨日のエントリは要するに一言で言うと「民主党なんか地獄に落ちちゃえ」((c)kmori58さん)なんであって、べ、別に武藤氏まんせーってワケじゃないんだからね!・・・というかどう読んだらそうなっちゃうのかかなり謎也*1

あとどうやら「政権担当能力」って言葉にネガティブな反応が多くて(4名。本エントリブックマークコメントによる)これも興味深い。昨日のエントリは要するに一言で言うと「民主党なんか地獄に落ちch(略)なんであってこの言葉はあんまり深く考えもせずに使ったのだけれど、確かに言われてみればこれは始皇帝氏ワードかもしれんなあ。以後気をつけよう。ご指摘感謝也。でもどう考えても民主党には与党になる能力欠けてるよねえ【反省のないsvnseeds】。

全く話は変わるけど「エントリのブックマーク数とそのエントリへのコメントの質は反比例する」という法則を見出しました。私はこの命題に関して真に驚くべき証明を見つけたが以下略。では皆さまごきげんよう

*1:追記。武藤氏の評価に関して個人的な意見をマジレスすると、ベストとは言えない(伊藤氏の方がよっぽど良い)けれども、福井続投や白川代行よりは遥かにまし、といったところ。もっともその根拠が「民主党が反対してるから」だったりするところが我ながらアレだけど。わはは。

現在の民主党に政権担当能力はないね

もうみんな散々似たようなこと書いてるけど、見ていて余りに頭に来るので自分のガス抜きのために書いておく。


現在の民主党には政権担当能力はないと考えざるを得ない。以下に述べるとおり、少なくとも経済政策に関しては根本から理解が間違っている。そして今はまさにその経済政策が、日本だけでなく世界中で問題になっているわけだ。

これだけ重要な問題の焦点である日銀総裁人事を誤った経済政策の理解に基いて云々し、挙句に政局や党内抗争の具にするような連中が与党になれるはずはないし、またならせてはいかんと激しく思う。


与党人事案に反対の理由が意味不明の「財金分離」だという。これが何を意味するか見てみると、結局は「中央銀行の独立性の尊重」のためらしい。朝日新聞の3/7付記事「民主、武藤氏日銀総裁案に不同意の方針 採決を要求へ」によると、民主党の反対の理由は次の通りとなっている。

民主党鳩山由紀夫幹事長は7日の記者会見で「財政と金融がつながってしまっているところに、この国の大きな問題が潜んでいる。財政と金融は切り離されてしかるべきだという議論が党内には大変強い」と述べ、財政と金融の分離の原則や過去の超低金利政策への批判から、武藤氏の昇格反対が党内の大勢であることを強調した。

しかしながら、現在の日本経済の状況において、「財金分離=中央銀行の独立性の尊重」の重要性を主張することは、次の3つの点で誤っている。


まず第一に、民主党は、日銀が少なくとも2000年8月以降、政府の意向から完全に独立しているかのように振舞ってきていることを理解していない。

2000年8月のゼロ金利政策解除、2006年3月の量的緩和政策の解除、そして同7月の再度のゼロ金利解除という、3つの重要な(そして誤った)政策変更決定のすべてにおいて、政府が事前に懸念を表明していたにも関わらず、日銀はその独立性を盾に政策変更を断行したのは周知の事実だ。

つまり、少なくともこの期間の金融政策決定において、日銀の独立性は十分に保たれていたと考えるべきだ。したがって民主党の主張する、「この国の大きな問題」の解決に「財金分離=中央銀行の独立性の尊重」が資する、という主張には全く根拠がない。


第二に、民主党は、中央銀行の独立性が何故重要であるかを全く理解していない。中央銀行の政府からの独立性が担保されていない状況で問題になるのは、過度のインフレーションだからだ。

民主主義国家の政府はインフレを好む傾向にある。適度なインフレは雇用に良い影響を与え、また財政負担も減らす。そして政府は往々にしてやり過ぎる傾向にある。インフレについて明確な責任を負っていないため、通貨発行を政府に任せると過度のインフレを招いてしまう可能性がある。中央銀行の政府からの独立が必要である所以である。

しかしながら現在の日本は10年目を迎えるデフレの状況にあり、したがって中央銀行の独立性が問題となる状況にないことは明らかだ。この状況において今以上の「財金分離=中央銀行の独立性の尊重」を主張することは、根拠がないだけでなく、明白に誤りだ。


最後に、恐らくこれが民主党の反対の最も大きな根拠と思われるが、日銀の低金利政策が財政負担への影響の懸念から続いていた、だから「財金分離=中央銀行の独立性の尊重」が重要である、という理解は事実に基かない完全な誤りだ。

まず、そもそもこの10年近くの期間において、日本の金利は決して低いとはいえなかった。名目金利は確かにゼロ近傍にあったが、企業や家計の実際の行動に影響を与える実質金利は、一貫して低いとはいえない数値だった。現在の日本の実質金利は恐らく米国のそれよりも高い。

よって、日銀の「低金利」政策によって財政負担が軽減したという事実は存在しない。むしろ逆に、名目の負担増加は低く抑えられたかも知れないが、実質の負担はデフレにより増加したと考えるべきだ。

また第一の点で述べたように、この期間に日銀が政府の介入により「低金利」政策を維持していたと考えられる根拠は存在しない。日銀は十分に独立性を保って政策を決定していたのだ。

つまり、事実を観察する限り、「財政と金融がつながってしまっているところ」など存在しない。したがって民主党の「財金分離=中央銀行の独立性の尊重」という主張は、事実に基かない全く根拠のないものだ*1


以上3点からわかるとおり、民主党が与党人事案に反対している理由であるところの「財金分離」という主張には全く根拠を見出すことができない。よって、現時点で「財金分離」を理由に日銀総裁の決定を遅らせることは明白に誤りであると言わざるを得ない。

そもそも、現在日本の経済政策に最も必要とされているのは、言うまでもなく速やかなデフレ脱却であり、そしてそのための適切な金融・財政政策の運営だ。日銀総裁の人事は、本来であれば、これを可能とするために政府と協調して金融政策を遂行できる人物を選ぶことが焦点となるべきなのだ*2

しかし残念ながら、現在の民主党は経済問題を正しく認識する能力に欠け、日本と世界の経済の行方にとって非常に重大な問題である日銀総裁人事を、政局や党内抗争の具としか考えていないようだ。こうした大局観のなさは、党内抗争と分裂を繰り返し、戦後長期間に亘り自民党の単独政権を許し、自滅的な最後を迎えた「野党第一党」の社会党を思い起こさせてならない。

当然、このような政党には政権担当能力がないと判断せざるを得ない。このままでは恐らく、未来もないだろう。しかしそのことは、少なくとも日本経済にとっては、悲しむべきことではないと信じる。

*1:更に述べると、この「日銀は不当な政府の介入により低金利政策を続けていた」との民主党の主張は、裏を返せば「日銀は金利を上げるべきである」となる。預金金利が上がることで消費へも好影響を与える、とまで主張する者もある。しかしながら、この主張は、経済学の教科書を紐解くまでもなく、明らかに誤っている。デフレは債務と現金価値の増大をもたらす。十分な現金を持った資産家は既にこの10年間のデフレにより恩恵を蒙っている。そして言うまでもなく、預金金利上昇を最も喜ぶのも、十分な現預金を持つ資産家だ。こうした資産家は利子所得が増えたからといって今以上に消費を増やすことはないだろう。一方で政策金利の上昇は預金金利だけでなく企業への貸出金利・家計へのローン金利も引き上げる。こちらはすぐに消費へ悪影響を及ぼすだろう。要するに、現時点で金利を上げることは景気にとってマイナスでしかなく、また不平等を拡大してしまう可能性が高い。

*2:この点については非常に残念なことに政府・財務省側にも非常に問題があるといわざるを得ない。財政再建は緩やかなインフレ下での景気回復による自然な税収増を基盤とするべきだ。消費の不振が経済停滞の主要な原因である現在において消費税増税を検討すべきと主張する者が政府・財務省に存在することは全く理解に苦しむ。

散髪雑感

髪切ってきた。昨日。ちょっと短めなので風邪ひきそう。

というか風邪より何よりいよいよ花粉の影響が出始めた感じ。今日の帰り、今年はじめて目が痒くなった。憂鬱なり。

ところで今日ちょっとだけ訳してみたScience For All Americansのプロジェクト、面白い企画だよなあ。素晴らしい。早く全文を日本語で読んでみたい【英語が読めぬsvnseeds】。どうやら公式訳が既にあるらしいので、これがきっかけになって、それがネットに公開されるだけでも良いことだよね。このプロジェクトがなければたぶんずっと公開されなかったんだろうから。そんなことないのかな。

と翻訳といえば例のCPIのやつは早くやっつけねばならん。まだ1/3くらいしか訳してないので先は長いなあ。公約では昨年内完了の予定だったんだけど。すみませんすみません。なんか難しいセンテンスがあるとつい別のことに逃避しちゃうんだよなあ。いかんなあ。

そういえば72年前の今日 第四日最終日もアップしなければいかん。これは近日中にやるつもりなり。考えてみたらこの企画は4年に一度しかできないんだよね。

この企画やっててふと思ったのだけど、こんな形であらゆる日記物の同じ日の記述をだーっとまとめたブログとかあったら面白いのになあ。政治モノだけじゃなくてそれこそ公開されている日記すべてを網羅して。ジャンル毎に表示させたりとか言及関係にリンクはったりとか。誰かやりませんかね。試しに青空文庫内で「日記」で検索してみると1,210件引っかかるのだけど、このうちどれだけがいわゆる文芸創作でない日記なのだろう。ってこの結果、重複も多そうだな。「海野十三敗戦日記」があるのが気になる。あと5つくらい、同時代のものがあればなんとかサマになりそうな感じなんだけど。流石に更級日記とかあってもしょうがないけど(笑)。

閑話休題、他にTo Doとしては田中先生の本の感想も書かないと。カシャップ論説の翻訳をご紹介いただきました。ありがとうございます。考えたらこれちょうど去年の話なんだなあ。遠い目。

あとはちょっと目にして気になった就職氷河期と資本主義とか、努力しても決して幸せになれない理由とかについての批判というか補足説明も書きたいなあ。なんつーか目の前で起きている事象を説明するのに目の前にあることだけを用いてるのって気持悪いというか、ストレートにいうと何故マクロの経済環境の話題が一片もないのか知らんというか。

もう構想は出来ていて、1. まず個人が努力しても幸せになれない状況においてこそマクロ経済政策が重要であることを例を用いて示す。例としては、a. 教科書的な合成の誤謬、b. 例のベビーシッターの話(クーポンをはてなポイントに置き換えてみても良いかもしれない)、c. モノポリーのインフレルールの話。

2. 次に、日銀総裁財務大臣の人選などは僕たち個人が問題を如何に良く理解しても影響をおよぼすことが出来ない問題ではあるけれども、しかしながら、僕たちが問題を良く理解することによって避けられるものとして様々な誤った政策の実行があることを例を用いて示す。例としては、a. 「ニート」問題、b. 郵政民営化問題、c. 財政再建のための増税論議。他に、話が大きくなってしまうが戦前の大陸侵攻願望を湛山の論説をひいて説明しても良いかもしれない。

3. 最後に、先に挙げた消極的な影響だけでなく、もしかしたら積極的にマクロ経済政策に影響を与えることができるかもしれないことを考えてみる。例としては日銀と政府のアコード、および日銀法の再改正。

って構想考えただけで満足している僕がいます。すみませんすみません。誰か書きませんか。

と色々やりたいこと書いたけど、実は先日ついに電気ドラムを購入したので今Elvin Jonesのコピーで無茶苦茶忙しいのは秘密です。すみませんすみません。そのうち時間ができたら音源とか譜面とか出していけたらいいな。ではごきげんよう

第7章: 人間社会 [7-1] - [7-4]

sivadさんのところで知った幻影随想さんによる「Science For All American勝手に翻訳プロジェクト」、ゲリラ企画大好きなんで早速第7章の冒頭をちょびっと訳してみました【宿題ほったらかしのsvnseeds】。

今後もぼちぼち訳していく所存であります。でも例によってスローペースなので後半訳したい方がいらっしゃったら是非どうぞ。

第7章: 人間社会


[7-1]

As a species, we are social beings who live out our lives in the company of other humans. We organize ourselves into various kinds of social groupings, such as nomadic bands, villages, cities, and countries, in which we work, trade, play, reproduce, and interact in many other ways. Unlike other species, we combine socialization with deliberate changes in social behavior and organization over time. Consequently, the patterns of human society differ from place to place and era to era and across cultures, making the social world a very complex and dynamic environment.

種として見た場合、私たちは他の人間の集団の中で生活を営む社会的存在である。私たちは自分自身を様々な社会的集団、例えば遊牧群、村落、都市、国家などに組織して、その中で働き、売買し、娯楽に興じ、子を産み、その他多くのやり方で互いに交流する。他の種とは異なり、私たちは長期に亘って、社会の形成にあたり、社会的な行動および組織に対して意図的な変更を行ってきた。その結果、人間社会の形態は地域、時代、文化間で異なり、現実の社会を非常に複雑で変化に富む環境にしている。


[7-2]

Insight into human behavior comes from many sources. The views presented here are based principally on scientific investigation, but it should also be recognized that literature, drama, history, philosophy, and other nonscientific disciplines contribute significantly to our understanding of ourselves. Social scientists study human behavior from a variety of cultural, political, economic, and psychological perspectives, using both qualitative and quantitative approaches. They look for consistent patterns of individual and social behavior and for scientific explanations of those patterns. In some cases, such patterns may seem obvious once they are pointed out, although they may not have been part of how most people consciously thought about the world. In other cases, the patterns - as revealed by scientific investigation - may show people that their long-held beliefs about certain aspects of human behavior are incorrect.

人間の行動に関する洞察は多くの情報源によってもたらされる。ここに提示される見解は主に科学的研究に基づいているが、しかしまた、私たちの自分自身の理解に大きく貢献する、文学、演劇、歴史、哲学、その他の、科学とは異なる学問領域の存在が認められるべきである。社会科学者は、人間の行動を様々な文化的、政治的、経済的、心理学的な観点から、定性的、定量的双方の手法を用いて研究する。彼らは、個人や社会の行動に一貫して見られるパターンと、それらのパターンの科学的な説明を捜し求める。ある場合には、そうしたパターンは、かつては大抵の人々が世界について意識的に考える方法の一部ではなかったにも関わらず、ひとたび指摘されれば明白なことであるように思われることがある。他の場合では、科学的研究によって明らかになったあるパターンによって、人間の行動におけるある側面について人々が長年抱いてきた信念が誤りであることが示されることがある。


[7-3]

This chapter covers recommendations about human society in terms of individual and group behavior, social organizations, and the processes of social change. It is based on a particular approach to the subject: the sketching of a comprehensible picture of the world that is consistent with the findings of the separate disciplines within the social sciences - such as anthropology, economics, political science, sociology, and psychology - but without attempting to describe the findings themselves or the underlying methodologies.

この章では、個人や集団としての行動、社会的組織、そして社会的変化のプロセスという観点から見た、人間社会についての提言を取り上げる。ここでは、人類学、経済学、政治科学、社会学、心理学などの、独立した社会科学の領域での知見と一致する理解可能な世界の状況を概観するが、そうした知見そのものやその背後の方法論を記述する試みは行わない。


[7-4]

The chapter describes seven key aspects of human society: cultural effects on human behavior, the organization and behavior of groups, the processes of social change, social trade-offs, forms of political and economic organization, mechanisms for resolving conflict among groups and individuals, and national and international social systems. Although many of the ideas are relevant to all human societies, this chapter focuses chiefly on the social characteristics of the present-day United States.

本章では7つの主要な人間社会における側面、すなわち、人間行動における文化的影響、集団の組織と行動、社会的変化のプロセス、社会的なトレードオフ、政治経済組織の種類、集団や個人の間の対立解消のための仕組み、国家と国家間の社会制度、について述べる。多くの見解はすべての人間社会に関連しているものではあるが、この章では主として今日の米国における社会的特徴に重点を置く。



Science For All Americans翻訳プロジェクト 第7章
http://sfaainjapanese.seesaa.net/article/88137211.html

72年前の今日 第三日

「西園寺公と政局」より

【承前】


興津では二十七、八日は東京と電話で連絡をとつてゐたが、東京の方はなかなか進展しない。それから静岡県の方では、隣の愛知県の豊橋にゐる軍人と、三島にゐる橋本大佐あたりとの間に多少連絡があり、警察はいろんなデマに非常に注意してをつたが、軍人が数人或は十数人自動車に乗つて興津に向ふといふ報告がたびたび警察に入つた。


二十八日、木戸から電話で、


「東京の方の様子は、昨日眞崎大将が行つて、総理官邸に立籠つてゐる叛乱軍の連中を説得につとめたけれども、二人ばかりどうしてもきかない。で、眞崎は『もしいよいよきかないならば、明二十八日朝八時には、自分が先頭になつてお前達を撃ち殺しに来る』と言つて帰つて来た、と軍事参議官の会議で報告してゐる。それで、二十七日の晩、陛下が阿部、眞崎両大将に謁を賜はつて、『叛乱軍をなぜ早く討伐せんか』と非常に厳しく御命令があつたやうだ。


なほ、内大臣がやられた後のことであり、或は近衛を内大臣にすることも多少考へておかねばならんから、含んでおいてくれ。この際、とても重臣会議はやれまいと世間で噂してゐるやうだが、これは公爵が御上京になつたらぜひやりたい。御上京になるかどうか。


また、陛下からは、最初、後藤内務大臣が閣僚の辞表を纏めて捧呈した時に、まづ第一に、『速かに暴徒を鎮定せよ。それまでは断じて辞めるな』といふお言葉があつた。」


と言つて来た。



西園寺公と政局 第五巻 pp. 5-6

西園寺公と政局〈第5巻〉 (1951年)

西園寺公と政局〈第5巻〉 (1951年)

木戸幸一日記より

二月二十八日(金)曇


午前七時、昨夜好転の徴ありしが、矢張り首脳部ニ名程は頑固に自説を主張し、服するに至らず、八時を期し弾圧を断行することとなれりとの情報あり。


内大臣の後任については宮内大臣より御相談あり、結局、此際は近衛公以外にはなしとの結論にて、一木議長も賛成せられし故、大臣の命により、八時半、近衛公に電話をかけ、湯浅宮内大臣面会を希望せる故至急来庁相成度旨を伝ふ。


十一時、橋本伯来庁。


十一時半、近衛公と会談す。宮内大臣より内大臣受諾の内交渉ありしが、自分は健康上御引受けは困難なりとのことなり。猶、打割りて懇談の結果、主治医宮川博士の意見を徴し、公より返事せらるゝことに打合す。


一時半、廣幡君より岡田首相の辞表を見る。


一時半、後藤内相、兒玉拓相、内田鉄相等と個々に会談す。財界も不安に駆られ同様の徴ありとのことにて、後継内閣組織を一日も早くせられたしとの話なり。依って暴徒の鎮圧を一刻も早く成就せられんことを希望す。


近衛公との会談の際、左の如き断片的の情報を聴く。


一、今回の事件は岡村・山下両少将、石本大佐の合作なりとの相当確実なる聞込あり。


一、石原大佐と久原の合作にて山本英輔大将を擁立せんとし、海軍側に一蹴せられたりとの説あり。


一、橋爪助教授に改革案を頻りに急ぎたる事実あり。


近衛公は三浦一平の紹介にて橋爪に会ひたることありと。


閑院宮小田原より御上京被遊こととなりたるが、御殿は立退区域なれば、何処に御仮寓を願ふか種々研究の結果、内大臣官舎に御滞在を願ふこととす。七時半、無事御着相成たり。


西園寺公御上京の場合には、宮城内に滞在を願ふこととし、次官室の一劃を提供することに打合す。


午後四時、近衛公より電話にて宮川博士の意見も往年の病気以来年数も余り立ち居らず、万一新聞等にて攻撃せる場合、医師として差支なしとは云ふ能はずとのことなり。よって宮内大臣に報告し、断念することとす。


七時半、原田より電話にて、内大臣に近衛公が健康上困難なりとすれば現宮相を之に当てゝ其の後任を考へては如何、ロボットは此際不可なりとの御意見の様なりとのことなりき。


午後六時五十分頃、岡田総理大臣参内、拝謁す。重大なる事態惹起の御託を言上、骸骨を乞ひ奉る。


陛下には時局重大なる折柄何分の沙汰ある迄励精せよとの御言葉あり。右に対し岡田首相は時局は余りに重大であります故、謹慎致し度と存じますと言上す。


陛下は右に対し何の御言葉もなかりき。


右につき内閣側にては、陛下の御真意は岡田の辞意を御容認被遊し意味と解すべきや否やにつき疑義あり、問合せ来りたるが、岡田の言葉にて励精せよとの御沙汰は消へ得べきにあらざれば、右は当然職務を継続するを当然とすと解せしも、尚、明にする為、廣幡侍従次長より右の趣を御伺ひ申上たるに、右の解釈の通りなりとの御意なりき。


岡田首相参内せしを以て、後藤内相の臨時代理を解かる。然るに閣僚の去二十六日に提出したる辞表は「今回岡田内閣総理大臣重大ナル故障ニ因リ職務を執ルコト能ハサルニ至リタルヲ以テ」云々との理由なる故、岡田首相参内せし今日辞表提出の理由は消滅したることとなる、因って更に岡田首相の手にて閣僚の辞表を取纏め捧呈を必要とすと認め、大金侍従より此旨を内閣側に伝へ連絡をとる。其結果、岡田首相は十時五十分頃参内、閣僚の辞表を更めて捧呈せり。


廣幡より左の如き内話あり。


今朝、陛下は閣臣の辞表を持参せよとの御命令にて持参せしに、陸軍大臣の辞表が他の閣僚の辞表と同一辞句なるを御覧あり、陸軍大臣は是で責任が尽せりと思ふのか、こんな考へだから宜しくないとの意味の御言葉あり、何と申上様もなく恐懼せりと。


各皇族の御態度につき廣幡に御感想を御漏になり、参考に総裁にも伝へよとのことなりしと。


高松宮が一番御宜しい。秩父宮五・一五事件の時よりは余程お宜しくなられた。梨本宮は泣かぬ許りにして御話であった。春仁王は宜しい。朝香宮大義名分は仰せになるが、尖鋭化して居られて宜しくない。東久邇宮の方が御判になって居る。



木戸幸一日記 上巻 pp. 467-468

木戸幸一日記 上巻

木戸幸一日記 上巻

本庄日記より

騒乱ノ四日間


【承前】


第三日(昭和十一年二月二十八日)


一、午前七時、伏見軍令部総長宮殿下参内アリ、武官長ニ対シ、二十七日ニ於ケル皇族御会合ノ模様及閑院宮殿下ノ御転地先、小田原ヨリ至急御帰京アラセラルベキ必要ヲ説示アラセラレタリ。


依テ、杉山参謀次長ノ来府ヲ乞ヒ、右皇族ノ意嚮ヲ閑院宮殿下ニ伝フベク依頼ス。


杉山参謀次長躊躇シアリシ折柄、秩父宮殿下ヨリモ時局重大ノ際ナレバ、多少ノ無理ヲ押シテモ、御帰京遊バサルル様、直接御通知アラセラレシ趣ニテ、閑院宮殿下ニハ、此日遅ク御帰京遊バサレタリ。


ニ、午前十時、梨本宮殿下参内、拝謁ノ上、真摯熱誠ヲ籠メ、今次事件ニ付御託アラセラル。後チ、


陛下ニハ、武官長ニ対シ、


自分ハ、梨本宮殿下ノ真面目ナル御態度ニ全ク感激シタリ。各将校ガ悉ク、梨本宮ノ如キ心持ヲ体シ呉レシナラバ、此ノ如キ不祥事ハ発生セザリシモノヲト、御歎ジアラセラレタリ。


三、此日、朝ニ至リ、行動部隊ノ将校ノ態度一変シ、又々現隊復帰ヲ肯ゼズ。


前晩、真崎大将等、三軍事参議官ノ説得ニテ、行動部隊ノ将校等ハ、部下ノ部隊ヲ原隊ニ帰スベク決意セシ模様ナリシニ、夜半ニ至リ、電話ニテ首相官邸ニアル、右等将校ニ電話指令セシモノアリ(北、西田等ナリト噂セラル)。為ニ、彼等将校ノ態度一変セリト云フ。


午前十時、杉山参謀次長参内シ、愈々武力行使断行ヲ奏上セントセシトキ、又々戒厳司令部ヨリ、模様一変ノ為メ、暫ク武力行使ヲ見合スベク通知アリ。


午前十一時頃ニ至リ、戒厳司令部ハ、一般市民ノ立退キ区域及時刻等ノ処理ヲ指示ス。


正午頃、戒厳司令部ハ、愈々奉勅命令ヲ行動部隊将校ニ伝ヘ、速ニ最後ノ決心ヲ為シ、軍隊ヲ原隊ニ復帰スベク促ス所アリタリ。


而ルニ、彼等将校ノ或ルモノハ、該奉勅命令ハ徹底セザリシト云ヒ、或ルモノハ、機関説信奉者ノ奉持スル命令ハ随フノ要ナシ抔種々辞ヲ設ケテ、躊躇決スル所ナカリシガ如シ。


午後三時、杉山参謀次長参内、帝都警備兵力ノ増加、及参謀総長ノ戒厳司令官ニ対スル区処権ニ付奏上シ、御裁可ヲ得。


午後四時半、杉山参謀次長、香椎戒厳司令官ト共ニ参内、武力行使ハ時間已ニ遅ク、明日ニ延期スルノ外ナキ旨ヲ奏上ス。


四、此日午後一時、川島陸相山下奉文少将、武官府ニ来リ、行動将校一同ハ大臣官邸ニアリテ自刃罪ヲ謝シ、下士以下ハ原隊ニ復帰セシム、就テハ、勅使ヲ賜ハリ死出ノ光栄ヲ与ヘラレタシ、此以外解決ノ手段ナシ、又第一師団長モ部下ノ兵ヲ以テ、部下ノ兵ヲ討ツニ耐ヘズト為セル旨語ル。


繁ハ、斯ルコトハ恐ラク不可能ナルベシトテ、躊躇セシモ折角ノ申出ニ付、一応伝奏スベシトテ、


御政務室ニテ右、


陛下ニ伝奏セシ処、


陛下ニハ、非常ナル御不満ニテ、自殺スルナラバ勝手ニ為スベク、此ノ如キモノニ勅使抔、以テノ外ナリト仰セラレ、又、師団長ガ積極的ニ出ヅル能ハズトスルハ、自ラノ責任ヲ解セザルモノナリト、未ダ嘗テ拝セザル御気色ニテ、厳責アラセラレ、直チニ鎮定スベク厳達セヨト厳命ヲ蒙ル。


固ヨリ、返ス言葉モナク退下セシガ、御叱責ヲ蒙リナガラ、厳然タル御態度ハ却テ難有ク、又条理ノ御正シキニ寧ロ深ク感激ス。


午後二時半、第一師団司令部ニアリシ山口大尉ヨリ、武官府宛電話ニテ、事変以来、連隊副官ノ如キ地位ニアリテ、働キアルコト、及ビ行動将校等ノ考ヘガ、縷々変転セルコトヲ述ベタル後、皇軍相討ツノ失態ナカラシメンガ為メニハ、彼等最後ノ場合ニ勅使ヲ給フノ一事アルノミトテ、尽力ヲ請ヒシモ、絶対不可能ナリトテ諭シテ、電話ヲ絶チタリ。


午後三時、参謀次長拝謁ノ後チ、


陛下ニ対シ、曩ニ、伝奏セシ行動将校等自殺ノ際ニ、勅使ヲ賜ハリタシ云々ハ、自刃ノ状況検視ノ意味ナリ、ト訂正ヲ願出デ置キタリ。


又、午後四時半、参謀次長、戒厳司令官拝謁ノ後チ、


陛下ヘ、昨今陸軍ハ大命ヲ殊更ニ奉ゼサルモノナリトカ、或ハ、軍政府ヲ樹立セントスルモノナリトカ、風評スルモノアリ。


陛下ノ陸軍ヲ、誣ユルノ甚シキモノニシテ、同時ニ、現事件ヲ速カニ、且ツ、円満ニ解決セントスル、陸軍ノ努力ヲ無視スルモノナリトテ、一般ノ空気ト、誤解ノ酷ナルヲ訴ヘシトコロ、其刹那、感極ツテ覚ヘズ涕泣言葉出デズ。


陛下ハ、其儘入御アラセラル、暫クシテ、。


陛下より更ニ御召アリ。武官長ハ泣ヒテ、陸軍ニ対スル誹謗ヲ訴ヘシガ、兎ニ角、速カニ解決セザレバ、容易ナラザル結果ヲ招来スベキガ故ニ、武官長ノ所感ヲ、軍事参議官ニ伝ヘ、且ツ、速カニ、事態ヲ収拾スベク取リ計ヘト仰セラル。


之ニ於テ、軍事参議官代表者ノ来室ヲ求メシニ、荒木大将参リ、早速前記ノ次第ト御恩召シノ程ヲ伝ヘシ処、同大将モ、奉勅命令ノ出デシ以上、最早実力行使ノ外ナシト答ヘタリ。


五、午後四時、岡田総理無事ナリシトテ、迫水秘書官ニ伴ハレ参内、拝謁、恐懼ニ耐ヘザル態度ニテ、謹ンデ御託ヲ申上グ。


六、此日午後、宮中ニ秩父宮殿下、高松宮殿下ヲ始メ、伏見、梨本両元帥宮殿下、朝香宮東久邇宮殿下其他各宮殿下参内、御会合、各種情報ヲ聴取ノ上、相伴ハレ宮城堤上ヨリ、行動部隊占拠ノ状況ヲ視察アラセラレタリ。



昭和史探索 3 pp. 275-279

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

高松宮日記より

二月二十八日


陸軍の方は中々片づかず、併し騒擾はあの場面では拡大せぬらしいので通学す。昼、秩父宮より電話にて皇族集合の件は伏見宮にお話しせるところ、そう云ふことは早き程よしとて都合は如何にと云ふので、私は何時でもと云ふわけで、二時半―三時に宮中へ集れと云ふことになつたので、直ちにかへり参内。ぶどうの間にて伏見宮、朝融王、秩父宮朝香宮東久邇宮、梨本宮、竹田宮それに私の七人集る。今度の事件に対する皇族としての所見の統一と云ふことであつたが、別にそうしたことも定まらず、席上伏見宮は私達二人して弟としてお上をおたすけして呉れと仰しやつて、御自分も感泣なさつた。そんなことは私も始めてゞあつた。


夕食をたのむで二一〇〇頃までゐて皈る。



高松宮日記 第二巻 pp. 391-392

入江相政日記より

二月二十八日(金) 雪 寒 七、三〇 十二、〇〇


朝起きて見ると雪である。スキーも御出来にならないとすれば本当にいやな天気だ。朝、小出さんから電話で今日は朝の中休息して夕方出勤するやうにとの事、麹町の方はそろそろ立退を命ぜられてゐるさうだ。いよいよ始めるのだろうか。久松さんと話合ひで又行けなくなると申訳ないから少し早目に行かうかといふことになり一時半に自働車を呼ぶ。番町の二人が見える。午食を一緒にする。その帰られる時に坂の下迄行き、久松さんの乗つた役所の車に乗り移る。依然一進一退との事、皆ヂリヂリして早くやればよいにと気をもんでゐる。今日も拝謁が続く続く。夕方岡田首相の拝謁、驚いた。死んだと思つた岡田さんが出て来たのだから。でもよかつた。嬉しかつた。十一時過入浴、牧野さんと二人旧寝室に寝る。侍従、武官全部当直。



入江相政日記 第1巻 p. 55

入江相政日記〈第1巻〉

入江相政日記〈第1巻〉

下士官の演説

(二十八日、幸楽山王ホテル付近において軍人のなしたる演説要旨)


A 山田分隊(山田伍長)


新聞紙の報道に青年将校首相官邸を襲いなどと称しおるも、われわれは尊皇軍である、われわれは決して上官の命令で今回社会の賊物を殺したのではない、全軍一同が奮起したのである、われわれは今後といえども財閥軍閥元老政党等の腐敗毒物を叩き殺し、そして北満守備のため出征するのである、これら国賊を全滅せしめないで出征することは実に心配である。


われわれはかかる国賊を叩き切ることは全く上御一人をして御安神遊ばさるよう、また国家皆様も安心して生活することができるように全く国家のために出動したるものである。


これを同じ皇軍のわれわれを友軍がわれわれに向けて発砲するとは何事である。


万一発砲する場合はもとより人を殺しているわれわれである、一兵卒となるとも戦うのである。


諸君は今度のことはよく知るまい、斎藤はどうだ、頭に三十発も鉄砲弾を食らいその上首を切り落とされ頭は真っ二つになっている。


鈴木の頭にはこの山田がピストルで三発ぶちこんだ。


首相は池の中に死体を叩き込まれたのだ。


これで終るのではない、これからまだどしどし国賊は叩き殺すのだ。国家に対する国賊を皆殺しにするのが目的だ、悪いものがなくなれば良者が出て国家の政治を行うは当然だ。一日も早く悪い者を殺すのだ。国民の腹の底にある考えをわれわれが実行したのだ。


われわれの後にはなおわれらの意志を継いでくれる者があることは心中喜ばしいのである。



B 堂辻小隊長(堂辻曹長


堂辻小隊の旗を背負わしめ日本刀を持ち、半紙二枚の声明書を群集に向きて朗読す。


その内容は主として尊皇愛国の精神を説き、軍人にして財閥と通じ皇軍をして私兵化せしむるごとき国賊はこれを排除し、その他国家の賊物をことごとく打ち斃し、次いで国家の安泰を計るが目的である、云々。


諸君、われわれは歩兵第三連隊安藤大尉の部下である、われわれはこれより死を覚悟しているものである、しかして私の希望は何物もない。


われわれは国家のために死ぬものである、遺族のことはなにぶん頼むと述ぶ。


この時一般群集の動静は


甲 これからなお国賊をやってしまえ。


乙 愛宕山の放送局を占領して今の声明書を全国に知らして下さい。


丙 買収されるなよ。


丁 腰を折るな、しっかりやれ云々。


戊 妥協するな。


大変御苦労であった。


甲 なぜ牧野、一木をやらなんだのです。


山田伍長


牧野は焼き殺されておるのだ


と言い、次いで言をつぎ


諸君、われわれに共鳴するなら一木でも牧野でも打ち殺して来てくれ、と言う。


群集の声


「諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ」


追って当時の群集はおよそ数百名ありたりという。



(『現代史資料 23』昭和四十九年発行 みすず書房
昭和史探索 3 pp. 296-299

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

72年前の今日 第二日

「西園寺公と政局」より

【承前】


已むを得ず二十六日一杯はそこにをつて、二十七日の午前十一時頃、鉄道省の自動車を借りて小田原まで行き、そこから汽車に乗つて興津に出かけた。興津との連絡が悪いので、できるだけ早く自分が行つた方がいゝと思つてをつたが、漸くにして抜け出すことができたわけだ。西園寺八郎氏、公一氏も一緒であり、ちやうど公爵も知事官舎から興津に帰つて来られた後であつた。



西園寺公と政局 第五巻 pp. 4-5

西園寺公と政局〈第5巻〉 (1951年)

西園寺公と政局〈第5巻〉 (1951年)

木戸幸一日記より

二月二十七日(木)曇


午前五時、伏見宮御参内との報に直に起床。


七時、武官長と面談、軍の動向を聴く。内大臣伏見宮をとの要望ある由なり。


八時、湯浅大臣、廣幡と面談、其後の処置につきお互に報告連絡をとる。


九時半、西園寺八郎氏来庁、老公の許に赴かるゝにつき打合す。今日迄の状況を話す。


秩父宮殿下御上京につき、岩波氏に途中迄御出迎して状況の御報告を依頼す。


十時半より十二時迄、朝香・東久邇両宮殿下に拝謁、其後の状況並に対策を言上、種々御意見を承る。


小野・工藤両秘書官と齊藤内大臣の葬儀につき打合す。


一時に大久保候、樺山伯来庁、牧野伯帰京希望云々の話あり。暫くは地方に居らるゝを得策とする旨御話す。


岡田総理大臣は生存し居り本日救出せられたるが、非常に興奮し、是非直に参内せむと主張せるを漸く慰撫して匿い居れりとの情報あり。


秩父宮は五時頃上野に御着、直に御参内になり、高松宮と御会見に相成、引続き拝謁、御奥にて両陛下と御会食相成たり。


秩父宮の御帰京を擁し、行動軍が御殿に入込むとの計画ありとの情報あり。八時半、殿下に拝謁して右の趣を申上げ、警衛の準備完了迄御帰りを御延を願ふこととす。


今朝、朝香宮は海軍大学に高松宮を訪ねられ、此際皇族が宮中に集り速に後継内閣の組織を為さしむる様進言したきを以て高松宮より召集相成度とのことなりしが、高松宮は集ることは兎も角も、それでなくとも御心配の陛下に如斯進言を為すは徒に御心配を増すものなりと思ふとの意味を述べられし由なり。


午後十一時半、岡部政務次官よりの情報。


眞崎・阿部・西三大将の説得にも依然二名程頑強に服せざるものありしが、眞崎大将より是迄に説くも聴かざれば此上は自分が先頭に立ちて討つべしと云ふに及び漸く服し、兵は幸楽、山王ホテルにて食事の後原隊に帰り、将校十七名は明朝憲兵隊に自首することとなれり。


華族会館にも多数入り来り、裏松君等十五六名はピストルにて威嚇され、身体検査をされ、夕方漸く釈放せられたり云々。



木戸幸一日記 上巻 pp. 466-467

木戸幸一日記 上巻

木戸幸一日記 上巻

本庄日記より

騒乱ノ四日間


【承前】


第二日(昭和十一年二月二十七日)


一、午前一時過、内閣ハ総辞職スルコトニ決定シ、後藤内相臨時首相代理トシテ各閣僚ノ辞表ヲ取纏メ、早朝闕下ニ捧呈セシガ


聖旨ニ依リ、後継内閣成立マデ政務ヲ見ルコトトナレリ。


陛下ニハ、最モ重キ責任者タル、川島陸相ノ辞表文ガ、他閣僚ト同一文面ナルコトヲ指摘遊バサレ、彼ノ往年虎ノ門事件ニテ内閣ノ総辞職ヲ為セル時、当ノ責任者タル、後藤内相(新平)ノ辞表文ハ一般閣僚ノモノト全ク面目ヲ変ヘ、実ニ恐懼ニ耐ヘザル心情ヲ吐露シ、一旦却下セルニ更ニ、熱情ヲ罩メ、到底現状ニ留マリ得ザル旨ヲ奏上セルノ事実ニ照シ、不思議ノ感ナキ能ハズトノ意味ヲモラサレタリ。


当時、武官長ハ陸相ノ辞表は内閣ニテ予メ準備セルモノニ署名シ、同時捧呈セルモノニシテ、何レ改メテ御詫ビ申上グルモノト存ズル旨奉答ス。


ニ、午前二時五十分、戒厳令公布セラレ、警備司令官香椎浩平中将戒厳司令官ニ任ゼラル。


戒厳令ハ勿論、枢密院ノ諮詢ヲ経テ、勅令ヲ以テ公布セラレタルモノニシテ、東京市ナル一定ノ区域ニ限ラレタリ。


此日、行動部隊ハ依然参謀本部陸軍省首相官邸山王ホテル等ニ在リ、午前十時半ヨリ、近衛師団半蔵門赤坂見附ノ線、第一師団ヲ赤坂見附、福吉町、虎ノ門日比谷公園ノ線ニ配置シ、占拠部隊ノ行動拡大ヲ防止セシム。


弘前ニ御勤務中ノ秩父宮殿下ニハ、此日御上京アラセラルルコトトナリシガ、高松宮殿下大宮駅マデ御出迎アラセラレ、帝都ノ状況ヲ御通知アラセラレタル後チ、相伴ハレ先ヅ真直グニ参内アラセラレタリ。


此ハ宮中側近者等ニ於テ、若シ、殿下ニシテ其御殿ニ入ラセラルルガ如キコトアリシ場合、他ニ利用セントスルモノノ出ヅルガ如キコトアリテハトノ懸念ニアリシガ如シ。


此日、閣僚全部、尚ホ依然宮中ニ在リ。岩佐憲兵司令官病ヲ押シテ参内シ、窃カニ岡田首相ノ健在ナルコトヲ告グ、其儘伝奏ス。


ニ、此日、戒厳司令官ハ武装解除、止ムヲ得ザレハ武力ヲ行使スベキ勅令ヲ拝ス。


但シ、其実行時機ハ司令官ニ御委任アラセラル。


戒厳司令官ハ、斯クシテ武力行使ノ準備ヲ整ヘシモ、尚ホ、成ルベク説得ニヨリ、鎮定ノ目的ヲ遂行スルコトニ努メタリ。


此日拝謁ノ折リ、彼等行動部隊ノ将校ノ行為ハ、


陛下ノ軍隊ヲ、勝手ニ動カセシモノニシテ、統帥権ヲ犯スノ甚ダシキモノニシテ、固ヨリ、許スベカラザルモノナルモ、其精神ニ至リテハ、君国ヲ思フニ出デタルモノニシテ、必ズシモ咎ムベキニアラズト申述ブル所アリシニ、後チ御召アリ、


朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ兇暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤト仰セラレ、


又或時ハ、


朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ、朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ、ト漏ラサル。


之ニ対シ老臣殺傷ハ、固ヨリ最悪ノ事ニシテ、事仮令誤解ノ動機ニ出ヅルトスルモ、彼等将校トシテハ、斯クスルコトガ、国家ノ為メナリトノ考ニ発スル次第ナリト重ネテ申上ゲシニ、夫ハ只ダ私利私慾ノ為ニセントスルモノニアラズト云ヒ得ルノミト仰セラレタリ。


尚又、此日


陛下ニハ、陸軍当路ノ行動部隊ニ対スル鎮圧ノ手段実施ノ進捗セザルニ焦慮アラセラレ、武官長ニ対シ、


朕自ラ近衛師団ヲ率ヒ、此ガ鎮定ニ当ラント仰セラレ、真ニ恐懼ニ耐ヘザルモノアリ。決シテ左様ノ御軫念ニ及バザルモノナルコトヲ、呉々モ申上ゲタリ。


蓋シ、戒厳司令官等ガ慎重ニ過ギ、殊更ニ躊躇セルモノナルヤノ如クニ、御考ヘ遊バサレタルモノト拝サレタリ。


此日、杉山参謀次長、香椎戒厳司令官等ハ、両三度参内拝謁上奏スル所アリシガ、


陛下ニハ、尚ホ二十六日ノ如ク、数十分毎ニ武官長ヲ召サレ行動部隊鎮定ニ付御督促アラセラル。


常侍官室ニアリシ侍従等ハ、此日武官長ノ御前ヘノ進謁、十三回ノ多キニ及ベリト語レリ。


此日午後遅ク、行動部隊将校ヨリ真崎大将ニ面会ヲ求メ、同大将之ニ応ジタル結果、更ニ阿部、西両大将モ之ニ加ハリ、種々説得ニ努メタルヨリ、彼等将校等モ大体ニ諒解シ、明朝ハ皆原隊ニ復帰スベシト答ヘシ由ニテ、此夜ハ警戒等モ特ニ寛大ナラシメラレタリ。



昭和史探索 3 pp. 271-275

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

高松宮日記より

二月二十七日


一夜あけて、通学前に岩波に電話した。宮中はお変わりなしとのことに通学す。


昼休み皈邸して状況をきく。甲府、高崎、佐倉等の兵がき、第一師団と共に戒厳配備についてゐる。陸軍では反軍を占拠部隊と称して依然戒厳部隊の中に加へて給与もしてゐる。唯、原隊にかへれと命令だか相談だかをしてゐる。ラチあかず。海軍ではすでに反軍と称して、連合艦隊を第二艦隊は大阪に、第一艦隊は東京湾に集合を命じて、昨日来横須賀より陸戦隊を四ヶ大隊もつてきて芝浦や海軍省に配して待機警備して、陸軍やらずば海軍の手にてもやると云ふ意気であつた。学校了つてから昨日大宮御所へゆけなかつたから、先づ御機嫌を伺ひ、それから参内す。昨日は平河門から入つたが、今日は大手門より入る。昨日は校長や教官が前后を一台づゝの自動車で守つてきた。今日、教官のみ一台ついてきた。


五時すぎ秩父宮上野駅御着。直チに御参内。(昨夜弘前より御電話にて皈へらうか、どうせうかと云つてらしつたから宮内省の方をきいたら、お皈りになつて不都合は少しもないが、三連隊や西田、安藤等との関係でデマがとぶことは心配と云ふことであつた。それもお話したが、重臣の不在はそれにもましてお皈へりが必要とも思つたが御判断を願ひ、結局十一時の汽車でお皈りのことになさつた)。


午前中に朝香宮が学校へ見えて、今度の事件は重大であり皇族が黙つてゐるべき秋でない、秩父宮も夕方にはおかへりになるが今は私が一番上だから、各宮を集めて皇族の意見をお上に申し上げようではないかとのお話なり。如何なる事を申し上げるのですかと云へば、「速かに後継内閣をつくつて人心を安定せしめようと云ふ意見なり」と申し上げるのだとのこと。それは自然誰れと云ふ問題になり、それを腹にもたないで今どうかと思ふから集れはかけられないとお答へし、秩父宮が五時頃には宮城へならせられるから、その時お集まりになる方があればそこで如何とお別れす。朝香宮東久邇宮、梨本宮と共にお待ちにて結局、議決のやうなものはやはり面白くない、陛下の御承知のことを又申上げてもしやうない事だし、併し皇族の意見をまとめておくことはよいから明日集らうと云ふわけで、秩父宮と私は奥で夕食を御一緒に戴いた。九時頃かへる。秩父宮はそれより大宮御所へならせらる。



高松宮日記 第二巻 pp. 390-391

入江相政日記より

二月二十六日(水) 晴 寒 六、三〇 九、三〇


昨夜は久松さんと一緒に侍寝室に寝る。七時に起きたら洗面所は一杯。うがひは後にしてフロツクを着て常侍官候所に行く。大金氏は殆ど徹夜してゐたらしい。七時過、後藤首相代理拝謁。徳大寺さんは高橋蔵相邸に御尋ねの御使、高橋さんも遂に駄目だつた。斎藤さんには機関銃を百八発放つて中三十数発命中との事。高橋さんはピストルで撃ち、更に日本刀で身体を斬つてあつたとの事、何たる侮辱だ、武士らしくない殺し方は憤慨に堪へない。岡田さんは今以て分らない。或は首相官邸の何処かにかくれてゐるといふ説もある。戒厳令が敷かれても暴徒は依然前日と同様の所に立こもつて立去らないとの事、或は場合によつては市街戦にならぬとも限らぬとの事。四時自働車で平河門から退出、黒田、徳大寺、久松三氏と帰る。令子、為年は番町へ行つてゐる。すぐ呼び戻す。余丁町、坊城さん、高木さんへ電話をかけて安心なさるやうにいふ。七時のニユースでは岡田首相も遂に駄目だつたとの事、困つたことになつたものだ。昨日の疲れでねむくて仕様がない。牛鍋をおいしく食べ、八時前にいゝ気持で四人で入浴。すぐに入床、間もなく寝る。



入江相政日記 第1巻 p. 55

入江相政日記〈第1巻〉

入江相政日記〈第1巻〉

緊急勅令(戒厳令の公布)

朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ帝国憲法第八条第一項ニ依リ一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム


御名御璽


昭和十一年ニ月二十七日



(『二・二六事件判決原本―付・関係資料』より 東潮社)
昭和史探索 3 p. 258

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)

昭和史探索〈3〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)