あーなるほど。
mojimojiさんからお返事いただいた。ありがとうございます。以下返答を試みます。
まずはやっぱり誤読があったようで大変失礼いたしました。読解力なくてどうもすみません。
mojimojiさんの僕のエントリへのブックマークコメント、松尾先生からいただいたコメント(いつもありがとうございます。お手数おかけしてすみません)、稲葉さんの一連のエントリ(0、1、2、3)、および稲葉さんのところでのOさんの一連のコメントを読んで、やっと僕が何を勘違いしていたのかがわかりました。
特に、mojimojiさんが参考として挙げられた、次のOさんのコメントは大変有益でした(勝手に引用させていただきますが、問題があればご指摘下さい)。
GDP概念が強力なツールである事は言うまでもないですが、それだけで事足りるのであれば、社会厚生関数についてのサミュエルソンたちのような議論が出てくる必要も無かったわけで、じゃあどういう社会厚生関数でいくべきか(つまり、どういう社会的な価値判断をするべきか)についての社会的選択がありますよ、というのがMojimojiさんの議論の要諦でしょう。
Mojimojiさん自身の支持するであろう「社会的な価値判断」はもちろん、「富裕層向けの財やサービスの分野中心での経済成長・資源配分」よりも、「基本的ニーズの充足という制約の下での経済成長・資源配分」で行くべきという事のようですが、そのような彼自身の支持する社会的価値判断を主張し、説得することが主要な目的ではなかった、と読めます。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080903/p3#c1220459010
僕の先日のエントリは、この2つの論点に、更に現在の日本の状況において経済政策の最優先課題を何と考えるか(いわゆるリフレ派の問題意識)が合わさって、議論がごちゃごちゃになっていたようです。
ということで、mojimojiさんのメインの主張である(と僕が理解した)ところの;
- 「いかなる社会を作るのか」という価値判断をちゃんと議論して社会的合意を形成することは、経済成長を追求することとは独立した問題
- だから豊かな社会を築くにあたっては、単に経済成長を目指すだけではダメ
という主張には全面的に同意します。これは、順調な経済成長が続いた米国における格差の存在、という問題を考えれば容易に納得できる、至極穏当な主張であると思いますし、僕自身の信念とも一致します。
それとあわせて、僕の先日のエントリにおける「まずは経済成長、次に福祉を含めた諸々の政策」という僕の主張は、「現在の日本の経済状況においては」という限定を付けるよう訂正します。
論点が整理しきれていなかったため、僕は意識せずにそのつもりで書いていました。また、稲葉さんを含む、僕のエントリに好意的なコメントを寄せた人たちも、恐らくはそのように読まれたのだと思います。過度に一般化したように読める記述をしたことは僕のミスでした。議論を混乱させてしまってどうもすみません。
ということで個人的にはこれで大変すっきりしたのでここでやめてもいいんですが、色々お騒がせしてしまったようなので、以下に僕がどう誤読・勘違いしていたのか明らかにして、その後にmojimojiさんのエントリへの直接のリプライを述べます。
まず、僕はmojimojiさんの先の2つのエントリでの主張を、以下のように理解していました。前回まとめたのは穏当版ですが、過激に表現すると次のようになります。
- 経済政策においては福祉を最優先するという社会的合意が形成される必要がある。そうした合意が形成されていないのに、経済成長が必要だという主張がなされるのはゴマカシでしかない
- また、現在の日本がおかれている経済環境においても、最優先課題は福祉社会の実現であり、そのためには高所得者への課税の強化が必要だ。それによって経済成長率が落ち込んでも問題はない
- 更に、福祉社会が実現されるのであれば、これ以上の経済成長は必要ない。成長率はマイナスでも良い
まあ今となっては誤読なのは明らかなんですが、こういうアンチ経済成長みたいな意見は結構見かけるので(昔の「くたばれGDP」とか)、つい、またそれだと思って読んでしまったようです。先入観バイアスには気をつけてるつもりだったんですがダメですね・・・orz。
ちなみにこの「福祉(社会)」を「財政再建」、「高所得者への課税の強化」を「消費税増税」と読み替えれば更に良く見かける議論になりますなあ。南無南無。閑話休題。
次にmojimojiさんの「マクロをミクロに見てみれば」への直接的なリプライを。結論から言うと、上記のような僕のmojimojiさんの主張に対する誤読に加えて、僕に読解力だけでなく文章力もないこと(泣)が相まって、いささか誤解を生んでしまっているようです。以下弁明を試みます。
「ふたつめのその1」で、mojimojiさんは、僕が生産性について言及したことは「貨幣ベースに置き換える」という「価値判断の問題を無自覚に持ち込んで」おり、これは「implicitな価値前提の導入のゴマカシ」だ、と書いています。
ですが、僕は生産性に言及することが「貨幣ベースに置き換える」ことになる点については、以下に書いたように自覚的でした。
もちろん、mojimojiさんが本来主張したいと思っていただろう(と僕が理解している)ことは、「福祉社会」が実現している社会とそうでない社会においては、GDP(つまり国内総生産)や生産性の高低は直接の比較の指標にならない、ということなんで、ここで生産性を云々するのはナンセンスなのかも知れない。
※ここで「福祉社会」といっているのは既に書いたように僕の誤読で、mojimojiさんの言葉を借りるならば「基本的ニーズの分野が満たされた社会」ってことですね。
では、何故僕が前のエントリでわざわざ生産性について言及して「貨幣ベースに置き換える」ことを行ったかというと、ここではmojimojiさんの言う「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を実現する手段の(非)現実性を検討しており、且つmojimojiさんはその手段として「富裕層」への課税の強化を挙げていたからです。
ここでの課税の強化は「貨幣ベース」で行われるものだと僕は理解しました(今の日本で物納が認められるのって確か相続税だけですから)。そして税収は国民総所得(GNI)に比例して、GNIの主要な構成要素であるGDPは生産性によって左右されます。
要するに僕が生産性を持ち出したのは、「資本集約型産業の生産物の方が大事です」なんてナゾな主張をしたいが為ではなく、
- 相対的に生産性が高くまたその伸び率も高い産業から相対的に生産性が低くまたその伸び率も低い産業への大規模なシフトが起こった場合、当然税収が減少することが予想されます
- この場合において、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」という目的を実現するための手段として「富裕層」への課税の強化を挙げるのは、sustainableではないように思え、従って非現実的だと思います
ということです。
※生産性の負のシフトが起こった後も経済成長が続けばsustainableではあると思います。ただ、次に述べるように、これを書いた時点では経済成長率がマイナスであることを許容する、という前提を(誤読により)置いていたので、sustainableではなく非現実的、という結論となっています。
ここでの結論の妥当性は置いたとしても、課税という手段を考える以上、その現実性を検討する際に「貨幣ベースに置き換え」た生産性、GNIやGDPといった指標を使うのは極めて当然だと僕は思います。
でも今読み返すと、僕の先日のエントリの「ふたつめのその1」では、明示的に課税の話であるとは書いてないですね・・・orz。ということで手段でなく目的について述べている、と誤解されてもしょうがないと思います。目的を決定するときに「貨幣ベースに置き換えた」指標を用いるのはゴマカシだ、という主張は(同意はしませんが)理解はできますし。
次に「ふたつめのその2」の件。
「累進課税はポルポト」なんておかしな主張をしたつもりは全く無いのだけれど、これは明らかに僕がmojimojiさんの主張を誤読したことが直接の原因なんで、まあズッコケられてもしょうがないなあ。一応以下に僕の理路を明らかにしておきます。
まず第一に、僕はmojimojiさんの主張を、上に書いたとおり「福祉社会が実現されるのであれば、これ以上の経済成長は必要ない。成長率はマイナスでも良い」と理解していました。要するに、以前ちょっと議論になった立岩真也さんが主張されていたのと同じような主張をmojimojiさんはされているのだろうな、と思ったわけです。既に上に書いたように、これは明確に僕の誤読ですね。
しかしながら前回のエントリでは、この誤読を前提として、つまり経済成長率がマイナスであることを許容する社会において、「富裕層」への課税を強化することで「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を実現しようとするとどうなるか、を考えたわけです。
この場合どうなると考えたか、まあ上のリンク先を読んでいただければわかると思うんですが、念のため、以下になるべくbreakdownして述べます。
- 先に述べたとおり、経済成長率がマイナスであることを許容する社会では、税収の減少が予想されます(GDPの減少=GNIの減少)
- また、そのような社会においては、重い課税の対象としての「富裕層」は、常にかつての「富裕層」よりも豊かではなくなっていくと予想されます
- 同じく、「富裕層」があきらめなくてはいけない「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」の品目や数量も減少していくと予想されます
- 一方で、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を政府が維持するためには、少なくとも前年と同程度の(一人あたりの支出が賄える)税収が必要となります
- これらを考え合わせると、つまり経済成長率がマイナスであることを許容し、且つ「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を目指し、且つその手段として「富裕層」への重い課税を採用する社会では何が起こるでしょうか
- まずは、(※)税収が減少していく中、必要な政府支出を賄うために、「富裕層」への課税がどんどん強化されることになるでしょう
- その結果、縮小する経済と重税のため、「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」を消費できる「富裕層」はほとんどいなくなるでしょう
- 同時に「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」を生産する産業も(輸出向けを除き)その規模を減少させていくでしょう
- 「富裕層」がほとんどいなくなりましたが、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」の維持は必要なため、税収は必要です。そのため、いなくなった「富裕層」のすぐ下の階層の人々を新たに「富裕層」と定義し、重い税を課すことにします
- (※)に戻り以下繰り返し
- 誰も途中で止めてくれなければ、いずれはかつては豊かだとは到底考えられなかった生活レベルの人々が「富裕層」と呼ばることになり、重税の対象となるでしょう
- また、同じく誰も途中で止めてくれなければ、どこかの時点で「基本的ニーズの分野が満たされた社会」は維持不可能となるでしょう。そしてそのレベルを下げる、あるいは中断することは大きな社会的混乱を伴うでしょう
ということでまあ要するに、これって典型的な「良かれと思ってはじめたことが思わぬ結果を招いてしまったけど今更やめられないんで続けてみたらひどいことになってしまいました」パターンでしょ、と思ったわけです。
このパターンの特徴は、俄かには信じがたい状況がいとも簡単に現出してしまうことで、「ポルポト」はまさにこの典型例なんで言及したわけです。
でもまあmojimojiさんは経済成長がマイナスでも「基本的ニーズの分野が満たされた社会」であればOK、コストは金持ちに負担させようぜ、なんて恐ろしい主張はしていないということなので、ここでこのパターンにはまる心配をする必要は全くなかったわけですね。お騒がせしてどうもすみませんでした。
ということで、最後にざっくり今回の議論を振り返ってみると、
- 「現在の日本の経済状況においてはまず経済成長が最優先課題」という主張をしている連中は「いかなる社会を作るのか」を議論することの重要性を過小評価している
という誤解が福祉とかを真面目に考えている人たちの間に広く存在しそうだなあ、と改めて思った次第。
以前似たような議論があったけど(特にコメント欄参照を推奨)、特に言及が無いからといって軽視してたり必要ないと思ってたりしてるわけじゃないんだと思うんだけどどうなんでしょう。
それとも、福祉を真面目に考えている人たちにとっては、「現在の日本の経済状況においてはまず経済成長が最優先課題」という主張はそんなに目障りなんでしょうか。良くわかんないなあ。
良くわかんないといえば、僕にとっては、現にパイが縮んでいる現在の状況において、
「パイを大きくする」前に、そもそも大きくするのが「パイ」なのか「ピザ」なのか「ケーキ」なのかを決めましょう
と言う主張がなされるのを聞くのは、実に悠長というか、これも良くわかんないなあと。
縮んだパイを大きくすればシェアは変わらなくても一人あたりの取り分は増える。そもそも大きくするのがパイなのか何なのかを決めるのは重要な問題だけど、今現在取り分が減って困っている人がいるのだから、とりあえずまずはパイを大きくしよう。と主張することがそんなに間違ったものだとはどうしても思えません。どうなんでしょうね。一緒に金持ちの取り分も増えちゃうのがダメなんでしょうか。わかんないな。
でもまあ、こういうことは信念の問題だろうから合意に至らなくてもしょうがないですね。がっかりはしません。それに、先日の結論で述べたように、合意に至らない議論であっても無意味とは思わないし、(建設的に行われれば)むしろ有意義であり必要なものであると思ってます。
とまた穏当な結論が出たところでこの辺で。僕はもう疲れたので後は誰かお願いします【何を任せるsvnseeds】。では皆さんごきげんよう。