とりあえず読みましたー。

といっても2時間くらいでざざっと読んだだけなので、日をあけて要再読です。久しぶりにページ折ってメモしながら本読みました。

で、今のところ、先のエントリを書き直す必要はあんまり感じてません。やっぱり疎外という概念(というよりもその有用性)が良くわからない。別にこんな概念使わなくても(ということは別にマルクスに依拠しなくても)より良い社会・世界に変えていく提案はできると思うし、むしろその方がすっきりすると思えてならないなあ。

以下個人的なメモ。山形さんが突っ込んでいる点とは別のものを中心に。

  • 「おカネがないほうが自然」を説明するのに、やっぱり「原始時代」が出てきてる(pp. 38-39)。ここで想定されているような「原始時代の社会」「数十人規模のグループ内」で、「各人の貢献や必要に合わせてみんなが納得いくように分配するだけ」といったことが実現していたとは信じがたい。「自然状態」の過度の美化。やっぱりルソーは罪深いと思う。
  • シュティルナーによる「人間の本質」という観念に対する批判(pp. 77-78)。要は僕の先のエントリはこれに尽きるように思うが、本書全体を通じてこの批判に対する回答は見当たらないように読める。本書後半(p. 239)でシュティルナーが再び出てくるけど自給自足(=アソシエーション)の絡みだけ。この批判をまじめに受け取れば疎外という概念がそもそも成り立たないように思えてならない。本書を読む限り、シュティルナーの主張はアナーキーというよりはリバタリアンのそれに近いように思う。というかほとんどアーミッシュだ(笑)。シュティルナーが主張したという「世界の変革ではなく、世界の享楽を」ってのは個人的には賛同するけど「みんな」に勧めるのはどうかなあ(笑)。「私の上に私を超えるような何ものも置くな」というのは激しく同意。仏教にも通じるように思う。
  • 上着」が「神」と同じ位置づけになるという話(p. 114)。ここでは「モノがモノを評価するほかない」状況を批判しているが、では一方で、「あなたの労働は何時間」という評価が妥当なのかどうか。「モノ」が「時間」という「抽象概念」に置き換わっただけのように思えてならない。「時間」という「抽象」ではなく「労働の社会的に有用な部分の評価」が問題なのだとして、じゃあそれは何で計るのか。結局何らかの「抽象」的な単位に換算せざるを得ないのではないか。これを否定してしまっては生産の規模はただ縮小するばかりのように思う。そしてそれは誰もが幸せになり得る社会とは程遠いのではないか。
  • マルクスの基本定理」の話(pp. 123-)。これはちょっとわからない。松尾先生による詳しい解説はここ。ややこしいのでまだ読んでないけど、山形さんが書いているように、資本による付加価値というか生産性の向上という観点が抜けているように思える。って勘違いだったらごめんなさい。後でちゃんと読む予定なり。
  • 制度の効用(p. 172)の話は非常に面白い。たぶん本来言いたいこととは違う面だと思うけど。
  • ゲーム理論による制度分析が「マルクス疎外論による社会分析とほとんど同じことをしている」という主張について(p. 194)。既に田中先生が指摘されている通り、パレート最適でない複数均衡があり得るという話は、ルソー風の「本来の姿」とは関係ない話、つまり疎外を想定しなくても良い話、のように読めてしまう。文化的な制度だの「土台」だのによってパレート最適でない均衡に陥っている状況と、それが「本来の姿」でない疎外の状況であるということは、全然違う話なんじゃないのか。「本来の姿」を仮定する限り最適な均衡は1つしかあり得ず、それはそうした均衡が文化的な制度だの「土台」だのによって移動/ジャンプすることがあり得るという説明(p. 219、唯物史観)と矛盾しているように思う。というかそうした仮定を置くのがいわゆる進歩主義史観ってやつなわけだな。
  • 福祉国家も疎外の産物だった」(pp. 258-259)、で、現在はその必要がないので国家が福祉も医療も抑制している(p. 261)という記述について。前者はどうかわからんけど(でも「資本家がびびって譲歩した」んでもなんでも、良い結果なんだったら良いんじゃないのかなあ)、後者は、特に日本の今の状況については、マクロ的な経済環境を無視した言及のように思える。
  • NPONGO等が「体制側が不要のものとして投げだしていることを逆手にとって」活躍すべき、との記述(p. 267)。やっぱり僕はこれにはあまり賛成できない。政府がすべきことは政府がすべきであって、NPONGO等の活動が政府を代替すべきとは思わないし、できるとも思えない。
  • 「従来の社会主義者は国家権力を使って、上から一挙に全体的に世の中を変えようとしたものですけど、それは本来の社会変革のあり方からすると、正道ではなかったと思います」(p. 272)という記述は激しく同意。
  • その他、第8章で述べられている社会を良くするためのあれこれは、結局疎外という僕にとってはナゾの概念から出てきたものであるので、やはりナゾであるとしか言いようがないように思う。
  • 「おわりに」(pp. 277-)は、個人的にはあんまり共感する部分がなかったりするけど、でも松尾先生がものすごく真剣にこの問題を考えていることは良く伝わってきて、結構感動的。この本を読むときは先にここを読むと結構印象が変わるような気がする。

以上。たぶん大事な論点ぽろぽろのがしてる気がしてならないので変なところあったらご指摘いただけると幸いです。もう眠いので寝ます。おやすみなさい。