ちなみに

立岩さんの考えている、結果の平等を目指した国家による分配については、第1章のみを読む限り、先日書いた批判がそのまま当てはまってしまいそうに読める。

奇しくもラスカルさんも同じ点を挙げてらっしゃる*1のだけれど(すみませんコピペさせていただきました);

現在の技術の水準と働ける人の数とを考え合わせたとき、いったい、どれほどの一人当たりの労働が必要かと考えるなら、少なくとも現状に上乗せをするほどのものは不要であると考えられる。より多くの人に働いてもらいたいなら、労働を分割して、それを実際に可能にすることが求められる。

「所有と国家のゆくえ」 p.61-62

この考え方の問題点は先日書いたとおり、それを実際に行った場合には、現在の技術の水準も産出の水準も維持できないところにある。

更に根が深いところには、Fellow Travelerさんがコメント欄で指摘されている通り、誰が「現状に上乗せをするほどのものは不要であると」判断するのか、とう問題がある。

人が何を消費するべきかを別の誰かが判断できるのだろうか?それは「贅沢は敵だ」と何が違うのか?僕にはわからんのだけれどそれは先へのお楽しみということで引き続き読んでいきたいと思う所存であります。

*1:ちなみに小田中先生もこのタイミングで本書に触れておりなんだか楽しい。他の人が同じタイミングで同じ本を読んでいることを知るのは何故楽しいのだろう。だからみんなベストセラーが好きなのかな?僕の場合読むのが遅いのでいつも変なタイミングで変な本を読んでるわけですけどorz。