所有について考えることの面白さについて

というわけで早速「所有と国家のゆくえ」を買い求めて優先度高めで読んでいるわけですが、面白いです。まだ第1章しか読めてませんけど。

「『資本』論」は前半読んだところでザセツしていたわけですが(すいません)、こちらを先に読んでからの方が稲葉先生の問題意識がはっきりしてわかりやすいんじゃないかと思いました。

で、所有についてだけど、最初は何でここまでさかのぼって考える必要あるのかなーと思っていたけど、確かにこれは面白い。

例えばここにタバコの箱がある。これは僕が買ったものだから僕のものだ。

普通に生活している限り、このことについて疑問を持つことはない。というかこんなことに疑問を持つのはかなりアレだ。僕が買ったものは(譲渡しない限り)僕のものであってこれは自明に思える。でもちょっとさかのぼっていくと、確かに自明かどうか怪しくなるのだな。

僕が買ったタバコが何故僕のものかというと、僕のお金で買ったからだ。僕のお金が何故僕のお金なのかというと、僕が働いて得たお金だからだ。

ここまでは自明とされているだろう。でも更に進むとどうか?

僕が働いて得たお金が何故僕のものかというと、僕の身体が働いて得たものだからだ。僕の身体が働いて得たものが何故僕のものかというと、僕の身体は僕のものだからだ。

ここまででもちょっとしつこいけどぎりぎり自明かな。このポイントで考えを止めてしまうのが、稲葉先生によるとロック的な所有の考え方らしい(間違ってたらすみません)。

でもこの考え方は、更に進めると実は破綻してしまう。僕の身体は僕のものだけれども、僕はこの身体を手に入れるために何もしていないからだ。

僕の身体が存在するために何かをしたのは僕の両親だ。ということは、さっきまでの「自分の身体がなんとかして得たものは自分のもの」という考え方を所有の起源とするならば、僕は両親のものになってしまう。

更に、僕の両親はそのまた両親の所有となり、この関係は有限ではあるが考えてもしょうがないくらい繰り返しさかのぼって適用されることになる。なんと全人類の全資産はアダムとイヴのものだったのだ!じゃーん。

もちろんこれはおかしい。では仏教徒はどうなるのかとかいう話じゃなくて、そもそも所有という概念は所有する者と所有されるモノがあってはじめて意味があるのだけれども、この考え方では所有する主体は人類の始祖だけ、他は全部ひっくるめて所有される側になってしまう。

しかし血縁を基礎とした小規模な集団においてはこの所有のロジックが働いている可能性もあるな。誰かこれ敷衍しないかな。閑話休題

要するにロック的な所有の考え方は、突き詰めると近代的な個人と真っ向から対立する概念となってしまい、実は破綻していると。

そんじゃどうしたらいいの、というところで、稲葉先生は立岩さんの論に注目したと。つまり他者の存在を通して所有を基礎付けるわけですな。

これは僕は立岩さんの本を読んだことが無いので想像だけれども、恐らく次のような論理だろう。つまり、所有の根っこを「自分以外の世界中の誰もが所有していないものは自分が所有しているものとみなして良い」とするわけ。

すると、そういったものは(奴隷制がある社会でない限り:だから稲葉先生の言うとおり奴隷制の研究は必要なんだろう)「僕自身」しかない。

このように、所有の基礎を他者の存在に依存して、いわば消極的に定義することで、僕がなんかしたことで得たものが僕のものになるのは、僕自身は僕以外の誰も所有していないからだ、といえることになる。これでロック的な考え方を延長した、所有の起源を延々とさかのぼらなくてはいけない呪縛から開放されると。

こう考えると、何故自殺はいけないのか、ということにも答えを与えることができるように思う。ロック的な発想だと、自分を所有しているのは自分自身だから、自分の所有物たる自分をどうしようとそれを咎めるロジックはないように思える。

しかしこの立岩さん的(と僕が理解というか想像している)ロジックでは、すべての所有の基礎は他者の存在に依存している。

だから、ここで自殺を許容してしまうと、すべての基礎である他者の存在が危うくなってしまう。自分は、自分自身により積極的に自分のものとなっているのではなく、他者の存在により消極的に定義されているのであり、これは社会にとっては自明ではなく、いわば「お約束」に過ぎない。

自殺を許容してしまうと、所有の起源とした他者の存在という「お約束」が揺るがされてしまう。故に自殺はよくないものである、と。




って僕は何を書いているんでしょうね。これはethicsなんでしょうか。久しぶりに違うアタマを使ったので知恵熱がでそうです。わはは。

第2章以降は、このように仮に定義された所有をベースに、それを売り買いするだけでなく貸し借りするときにどのような問題が生じるのか(自分自身を貸し借りするとはどのようなことなのか)、という方向で話が進むのでしょうか。楽しみです。