最近読んだ本 その8

危機の宰相

危機の宰相

激しくお勧め。必読です。Baatarismさんが取り上げていたのを見て新宿ジュンク堂にて購入。しばらく積読になっていたのだけれど康芳夫の自伝を読んだのがきっかけで優先度を上げて読んでみた(理由は後述)。

1960年代、大蔵省出身の「敗者」3人、首相・池田隼人、エコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄が、「所得倍増計画」を強力に推進するお話。とにかく面白い!

池田が首相となった1960年は「反安保闘争」で日本社会が非常に不安定となった年で、更に経済成長率も1958年の落ち込みから脱しつつあったタイミングということもあり、どうしても現在の日本の状況と比較しながら読んでしまう。

そうした観点から見て興味深かった点を2つ挙げてみる。

ひとつは、日本の将来を悲観的に見る要因として、現在と同じく当時も「構造」が問題となっていたこと。しかもこれも現在と同じく、2つの意味で、つまり日本の潜在成長率と「格差」の点で、「構造」が問題となっていたようだ。もう笑っちゃうの通り越して脱力してしまいますよ。君たちは構造が好きすぎる。わはは。

潜在成長率に関しては、1950年代の戦後復興の急成長は1960年代に入ったら落ち着き、今後は歴史的な水準である5%前後の成長率しか望めない、という主張が分別ある者の見通しだったという。「主流派」エコノミスト都留重人や日銀出身エコノミストの吉野俊彦がこうした見通しを元に「所得倍増」に反対していて、「所得倍増」なんてのはあまりに楽観的として軽蔑されていたそうな。

要するに実力以上の成長を目指すのはかえって経済を不安定化させるという主張なんだけれど、何故そうした高成長を実力以上とするのかは根拠に乏しく、実際にはそうした悲観的な見通しは単なる「勘」に過ぎなかったという(185-186ページ)。一方の「所得倍増」の理論的支柱であった下村治の、高成長を目指すべき(というより邪魔しないべき)というロジックは理路整然として非常に説得力に溢れるものだ。

このわけのわからない悲観的な見方が何故か本流となってしまう構図は現在でも繰り返されているように僕には思える。10年以上も落ち込んだ経済の当面の成長率が2%前後しかないなんておかしいでしょう。どうですかね。

「構造」に関してもうひとつ興味深いのは、当時も「格差」が問題となっており、経済成長よりも格差是正に注力すべきだ、との主張があったという点。この格差問題をあらわす言葉は「二重構造」と言ったんだそうな。曰く先進国経済と後進国経済が共存している特殊な構造なんだそうな。

確かに戦前の日本は格差が激しい社会だったろうし、戦後1950年代の急速な復興の後も依然として、というよりも以前にも増して格差は大きな問題だっただろう。

一方で現在の日本も、現状では色々議論はあるだろうけれども、このまま行くと格差が広がってしまうという危機感は広く共有されているように思える。

ここで、現在の日本の「格差」が生まれた原因として、またそれを是正する措置として、日本に特殊な「構造」およびそれへの対処を第一に挙げる人たちに是非考えてもらいたい点がある。1950年代後半に議論されていた「格差」が何によって是正され、その後の日本が「一億総中流」とまで呼ばれる世界でも稀な格差の少ない社会になった原因はなんだったのだろうか、と。って疑問文にする意味ないですか。レトリックに走りすぎましたかそうですか。

面白かった点の2つ目は、当時の野党第一党だった社会党が対自民党対策として掲げた政策。保守的な官僚のおかげで、池田首相たちの「所得倍増計画」は、政策としては「今後10年間に国民所得を2倍以上、完全雇用の実現」という長期目標と「この3年間は経済成長率9パーセントを持続させる」という短期目標として掲げられた。

これに対して社会党が打ち出した対抗政策が笑ってしまう。「経済成長を10パーセント、4ヵ年で国民所得を1.5倍」というものだったそうな。221ページから引用すると;

社会党の対応の仕方はあまりにも無残だった。池田内閣の提出した「経済成長」という保守の構想に対し、社会党はまったく別の次元での革新陣営の構想を対置することができなかった。いくら成長率を1パーセント多くいおうが、それはまったく無力だということを、池田とそのブレーンたちはよく理解していた。同じ土俵に上がってしまえば、権力を握っている者が強いことはあまりにも自明だったからだ。

あまりに既視感が強烈でもう笑うしかありませんよ。わはは。

さて個人的にはもう1つ興味深い点があった。先日ご紹介した神彰の伝記と康芳夫の自伝のどちらにも、「危機の宰相」の主人公の一人、宏池会事務局長・田村敏雄が出てくるのだ。

神彰の伝記である「虚業成れり」によれば、当時制限のあった外貨をいかに確保するかに関して田村の助言があり、また神は宏池会に多くの政治献金を行っていたという。一方の康芳夫の自伝には、田村はソビエトのスパイであったとほとんど名指しで書いてある。

この辺の事情はもちろん僕にはわかるわけないけど(「虚業成れり」の著者のサイトにこんな記述があるのでご参考まで。これは「危機の宰相」単行本化前のものですな)、しかし「危機の宰相」にて描かれている田村の人物像は、かつてマルクス経済学に傾倒し、そして後には完全にそれと決別した人物のもののように思える。そうでなければ保守政権の中枢にいて「所得倍増」なんて言い出すわけが無い。

「危機の宰相」で描かれる、田村の曰く言い難い情熱的な生き方は、以前読んだコルナイのそれと、方向性は違えど妙に重なるものがあるように僕には思え、その点が大変印象深かったのでした。

しかし下村治という人は大変興味深いなあ。彼が1970年代には一転してゼロ成長を唱えるところはアレだけれど、ちょっと色々調べて見ようと思いました。って著作はほとんど絶版なんですけどね。図書館かなあ。

ま何はともあれこの本は激しくお勧めです。読まないと損です。是非どうぞ。

エコノミスト三国志―戦後経済を創った男たち (文春文庫)

エコノミスト三国志―戦後経済を創った男たち (文春文庫)

こちらもお勧め。以前苺の投資板でへなへなさんが面白いと挙げていたのを見て購入。読んだのは確か3月くらい。

「危機の宰相」とほとんど同じテーマを扱った本(実際「危機の宰相」雑誌掲載時のものが参考文献として挙げられている)。ちょっとフォーカスの当て方が異なっていて、下村治が中心、それに前述の都留重人や吉野俊彦が絡む、というもの。

内容がうろ覚えなのと「危機の宰相」で長く書きすぎちゃったのでご紹介はこの辺で。やっぱりなんか書くなら読んだ直後じゃないとダメだなあ。