「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」佐藤優(ASIN:4104752010)
とりあえずメモ。「ヒュミントの原則」に従い、著者と読者の利害が対立してなさそうなもののみ(笑)抜書き。
【「情報」と「情報屋」について】
- ヒュミント(HumInt=Human Intelligence:人間からとる情報)の価値を計る二つの原則(19p)
- 情報源がこちら側が関心をもつ情報をしることができる立場にいること
- 情報源が自分の得た情報をこちらに正確に教えてくれること
- 外交官四分類(66p)
外交官には、能力があってやる気がある、能力がなくてやる気がある、能力はあるがやる気がない、能力もなくやる気もないの四カテゴリーがあるが、そのうちどのカテゴリーが国益にいちばん害を与えるかを理解しておかなくてはならない
- 国際情報屋の二分類(86p)
- 猟犬型:ヒエラルキーの中で与えられた場所をよく守り、上司の命令を忠実に遂行する。全体像がわからなくても危険な仕事に邁進する
- 野良猫型:たとえ与えられた命令でも、自分が心底納得し、自分なりの全体像を掴まないと決してリスクを引き受けない。独立心が強く、癖がある。しかし、難しい情報源に食い込んだり、通常の分析家に描けないような構図を見て取るのも野良猫型
- 全体として見れば、国際情報屋は、猟犬型95%、野良猫型5%に分かれる
- 情報の二分類(133p)
- 種々のデータを分析、総合して得る調査情報
- 事情を知っている人に「こうなっている」ことを教えてもらう生情報
- 情報の分析専門家として必要な洞察力について(298p)
私も大きな事件が起きるとき、当事者のパーソナリティーは少なからぬ役割を果たすことがあると考える。【中略】しかし、パーソナリティーが問題となる前に、そこに存在している時代状況を解明することが分析専門家として必要な洞察力なのだと私は考える
【日本の内政・外交の変化とポピュリズム】
- 外務省内部に存在した三つの異なる潮流(56-57p)
- 「狭義の親米主義」:冷戦がアメリカの勝利により終結したことにより、今後、長期間にわたってアメリカの一人勝ちの時代が続くので、日本はこれまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという考え方
- 「アジア主義」:冷戦終結後、国際政治において深刻なイデオロギー上の対立がなくなり、アメリカを中心とする自由民主主義陣営が勝利したことにより、かえって日米欧各国の国家エゴイズムが剥き出しになる。世界は不安定になるので、日本は歴史的、地理的にアジア国家であるということをもう一度見直し、中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方
- 「地政学論」:東西冷戦期には、共産主義に対抗する反共産主義で西側陣営が結束することが個別国家の利益に適っていたので、「イデオロギー外交」と「現実主義外交」の間に大きな開きはなかったが、共産主義というイデオロギーがなくなった以上、対抗イデオロギーである反共産主義も有効性を喪失したと考える。その場合、日本がアジア・太平洋地域に位置するという地政学的意味が重要となる。つまり、日本、アメリカ、中国、ロシアの四大国によるパワーゲームの時代が始まったのであり、この中で、もっとも距離のある日本とロシアの関係を近づけることが、日本にとってもロシアにとっても、そして地域全体にとってもプラスになる、という考え方
- 日本人の実質識字率:外務省幹部の言(76p)
新聞は婆さん(田中真紀子前外務大臣、引用者注)の危うさについてきちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は5パーセントだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく
- 小泉政権誕生によりおこった日本の変貌三点(118-119p)
- ナショナリズムの二つの特徴(119p)
- 「より過激な主張が正しい」
- 認識構造の非対称性:「自国・自国民が他国・他国民から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他国民に対して与えた痛みは忘れてしまう」
- 検察による法の適用基準の決定について(288p)
「実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準を決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。【略】」
「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ」
「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」
- 現在の日本の政策転換は本来両立しない二つの目標を掲げ進められているように思われる件:ハイエク型新自由主義モデル(傾斜配分路線)とヘーゲル型有機体モデル(排外主義的ナショナリズム)は相容れない(299p)(386pにも同様の記述あり)
- 国民が苛立ち、政治扇動家に操作されやすくなるときとは(387p)
『国民の知る権利』とは正しい情報を受ける権利も含みます。正しくない情報の集積は国民の苛立ちを強めます。閉塞した時代状況の中、『対象はよくわからないが、何かに対して怒っている人々』が、政治扇動家(デマゴーグ)に操作されやすくなるということは、歴史が示しています。
【おまけ:役に立つレトリック(笑)】
- 「嫌い」という言葉を一言も使わないで表現する方法(102p)
世の中の政治家は、とてもよい政治家とよい政治家に分けることができる。橋本龍太郎、森喜朗はとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。フリステンコもとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。鈴木宗男もとてもよい政治家で、僕はとても尊敬している。それに較べて田中真紀子はよい政治家だ。だから何も問題はない。よい外相に巡り合い、人生にはいろいろなことがあると思っているだけだ。
- 相手の気分を害さずに同じことを伝えるには(175p)
『お前、嘘をつくなよ」と言えば誰もがカチンとくるが、『お互いに正直にやろう』と言えば、別に嫌な感じはしない
「国家の罠」(ASIN:4104752010)
感想。とにかく抜群に面白い。文句なくお勧め。今更ですけど。
内容の正確さについては既に方々で言及されているだろうから、僕が何か付け足すようなことはないだろうと思う。ひとつだけ挙げるとしたら、読んでいてなんか既視感があるなあと思ったらシュペーアの例の本だったことかな。内容の正確さに関して僕が思ったのはそれだけ。だってわからんのだもん。著者が言うように、30年後にすべてが明らかにされることを望みたい。
ということで、この本の後半に言及されている、日本が現在向かっている方向性について思ったことを書いてみる。
著者と同様、僕も現在の日本の置かれている状況に非常に危機感を覚えていて、それについては過去に何度か書いたように思う。具体的には、まさに著者が292ページで指摘しているような、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換と、外交における地政学的国際協調路線から排外主義的ナショナリズムへの転換、の二つの路線変更がものすごく気持ち悪いのだ。
そしてこの気持ち悪さの源泉には2つの理由があるように思った。ひとつは著者も指摘しているとおり、この2つの路線は本質的には相容れないものであることだ。この2つの路線が現実に並存していることが即ち現在の政治の方向性はポピュリズムにより決定されていることを示しているように思える。またこの2つの路線が並存するためには、つまりポピュリズムが蔓延するためには、そこに反知性主義的な雰囲気がなければならないように思う。
そして僕には、これら現在主流となっている3つの雰囲気、つまり1.ハイエク型傾斜配分路線=シバキアゲ路線、2.排外主義的ナショナリズム、3.反知性主義は、結局はこの10数年の日本の長期不況からきているものとしか考えられない。
これがもうひとつの気持ち悪さの源泉、つまりどうして歴史から学ぼうとしないのだろうか、という点だ。日本が上記3つの雰囲気に支配された時代が過去にもあった。昭和恐慌期だ。金融的な問題は高橋是清等の采配で収束したが疲弊した農村は収まらず、部下の家庭の窮状に憤慨した青年将校の暴発により時代は大きく動いてしまった。
時代の雰囲気とはどのように形成されるのだろうか。時代は何がきっかけとなって動くのだろうか。まだ勉強を始めたばかりなのではっきりしたことは言えないけれども、ひとつだけ言えるとしたら、政府や軍や官僚や企業やマスコミや外国政府が悪く国民はその被害者なのだ、という意識では状況は良くなるどころか悪くなるばかりだということだ。感情的なリベラリズムは反知性主義的という意味で排外主義的ナショナリズムと同じものに僕には見えるのだ。
楽観的な啓蒙主義に期待できるほどウブでなくなってしまった自分が恨めしい。と書けるだけ僕はまだウブなんだろうか。わはは。ともあれすべてが手遅れにならないように祈りたい。問題は誰にもしくは何に祈れば良いのだろうかという点なわけですけど。つまり誰が歴史から学んでいないのか、ということか。南無南無。