科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(5)

【この文章は、N. Gregory Mankiwの"The Macroeconomist as Scientist and Engineer"を勝手に翻訳したものです。段階的にアップロードしていく予定です。内容などおかしなところがあれば、メールもしくはコメントにてご指摘いただければ幸いです】


余談と辛辣な批評

長期の経済成長に関する理論と経験的知見を扱うことはこの小論の範囲を超えるが、しかしこれらのテーマが1990年代を通じてマクロ経済学者の興味を大いに惹きつけたことを指摘しておくことは有益だろう。これらのテーマに関する研究は、その半世紀前の誕生以来ずっとマクロ経済学の分野で支配的だった、短期の経済変動から関心を奪ったのだった。

成長が研究の主要な分野へと台頭した理由はいくつかある。第一に、ポール・ローマー(Paul Romer, 1986)他による影響力の大きい一連の論文が、間違いなく経済学における最も切実な話題のひとつである、富める国と貧しい国の間の大きな隔たりを分析するための新しいアイデアと道具立て一式を提供したこと。第二に、国際比較データが入手可能になったため、代替的な理論の有効性を系統的に調査することが可能となったこと(Summers and Heston, 1991)。三点目としては、1990年代のアメリカ経済が歴史上最も長期におよぶ好景気を経験していたことが挙げられる。初期のケインジアンたちが、国の健康状態に直接的に関連するためにこの分野に惹き付けられたのと同様に、1990年代の経済状況は、この時代の経済学徒にもはや景気循環は実際的に重要でないことを示唆したのだった。

そしてまた第四の、1990年代の新進のマクロ経済学者たちが短期の経済変動ではなく長期の成長に惹き付けられた、より厄介な理由もあった。新古典派と新ケインズ派の世界観における緊張関係だ。新古典派の先導的な経済学者であるルーカスが「人々はもはやケインジアンの空理空論を真剣に受け取っていない」と宣言する一方で、先導的なケインジアンたちもまた同様に新古典派の同僚を見下していたのだった。1980年におけるアメリカ経済学会での会長演説において、ソロー(Solow, 1980)は、新古典派の経済学者たちが賃金と価格の硬直性の想定や市場が均衡しない可能性を排除していることを、「馬鹿げているほど限定的」と呼んだ。彼はこう言ったのだ。「私は以前、キリンが十分な量の血液をどのように頭部まで運び上げているのかについてはまだ解明されていないと読んだことがある。しかし、それ故にキリンは長い首を持っていないのだ、と結論付ける人々がいるだろうことはまったく想像もできない」。

その数年後のアルホ・クレイマーとのインタビュー(Arjo Klamer, 1984)において、ルーカスは次のように回想している。「私は、特にソローに関しては、ジョークを言う以外にこの問題について真剣に取り組もうとしていたとは思えない」。同じ本のクレイマーによる別のインタビューでは、ソローが新古典派の経済学者たちとやり合うことの憂鬱さについてこう説明している。「君が今座っている場所に別の誰かが座ってきて、そいつが自分はナポレオン・ボナパルトだと僕に言ったところを想像してごらんよ。そいつに関して僕が最も避けたいことは、アウステルリッツの戦いにおける騎兵隊の戦術についての技術的な議論に巻き込まれることだ。もしそうしたならば、僕は彼がナポレオン・ボナパルトだというゲームに暗黙のうちに巻き込まれたことになるんだよ」。

ある意味では、この論争は、この分野の目標に関する、主唱者たちの異なるものの見方を反映している。ルーカスは、新古典派経済学が提供し得る分析的厳密さをソローが正当に評価していないことを非難しているように見える。ソローは、専売特許である市場均衡の想定が現実性に欠けることをルーカスが正しく認識していないことを非難しているように見える。どちらの言い分ももっともだ。科学的な見地からは、新古典派が提供したより一層の厳密さにはとても魅力がある。しかしエンジニアリングの見地からは、その追加された厳密さに要するコストは負担するには重すぎるように思えるのだ。

私がこの議論の本質にこだわるのは、これがただ科学者とエンジニアの間の緊張関係を反映しているからだけでなく、次世代の経済学者の選択をも説明しているからだ。知の巨人たちの間におけるあれほどの辛辣な批評は注目を集めてしまう(ちょうどバーで常連たちが殴り合いの喧嘩を取り囲み、当事者たちをけしかけるのと同様に)。しかしこれはマクロ経済学の分野にとって健全なことではないのだ。驚くべきことではないが、多くの若い経済学者たちは彼らの興味の対象を経済的な変動から別のテーマに移すことによって、この論争のどちらかに肩入れすることを避けたのだった。