科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(6)

【この文章は、N. Gregory Mankiwの"The Macroeconomist as Scientist and Engineer"を勝手に翻訳したものです。段階的にアップロードしていく予定です。内容などおかしなところがあれば、メールもしくはコメントにてご指摘いただければ幸いです】

新しい総合、それとも停戦協定?

古い格言曰く、科学は葬式により進歩する。今日では平均寿命が伸びたおかげで、こう言い換えた方が(精彩には欠けるが)より正確だろう。科学は引退により進歩する、と。マクロ経済学においては、古い世代の主唱者たちが引退したり引退に近づいたので、より礼儀正しい文化を身に着けた若い世代のマクロ経済学者と入れ替わったのだった。同時に、経済変動を理解する最良の方法についての新しいコンセンサスが浮上した。マービン・グッドフレンドとロバート・キング(Marvin Goodfriend and Robert King, 1997)は、このコンセンサスの考え方を「新・新古典派総合」(the new neo classical systhesis)と呼んだ。この総合モデルは、金融政策に関する研究で幅広く適用されてきた(Clarida, Gali, and Gertler, 1999; McCallum and Nelson, 1999)。この新しい総合の最も広範囲におよぶ扱いは、マイケル・ウッドフォード(Michael Woodford, 2003)による記念碑的な(そしてむやみに長い)大冊だ【訳注:「大冊」としたtreatiseには「専門書」と「長ったらしい退屈な説明」の2つの意味があり、Mankiewはわざわざin both senses of the wordと断りを入れている】。

以前の世代の新古典派-ケインジアン総合(neoclassical-Keynesian synthesis)と同様、この新しい総合も、これに先行した競合するアプローチの強みを融合することを試みている。新古典派のモデルからは、動学的確率的一般均衡理論(dynamic stochastic general equilibrium theory)の道具立てを持ち込んだ。選好、制約、そして最適化が出発点であり、分析はこれらのミクロ経済学的基礎の上に築き上げられるのだ。新ケインズ派からは名目硬直性を持ち込み、それを使ってなぜ金融政策が短期では実際に効果があるのかを説明する。最も一般的なアプローチは、価格を断続的にしか変更できない独占的競争企業を仮定することで、新ケインジアンフィリップス曲線と呼ばれることもある価格の動きが得られる。この総合のかなめは、経済とは価格硬直性(とたぶんその他の様々な市場の不完全性)のためにパレート最適から逸脱した動学的一般均衡システムである、とする見方なのだ。

このコンセンサスの出現を大いなる前進と表現することには心惹かれるものがある。いくつかの点ではまさにその通りなのだ。しかし現在の状況については、それほど楽観的でない見方もある。恐らく、何が起こったのかというと、それは実際には総合ではなく、むしろ双方の面子を保つための撤退に続いた、知的戦闘員たちの間の停戦協定だったのだ。新古典派と新ケインズ派のどちらもが、この新しい総合を見て、表面下に横たわるより深刻な敗北を無視しつつも、ある程度の勝利を主張できるのだ。

この新しい総合のかなめ――名目硬直性を伴った動学的一般均衡システム――は、まさに初期のケインジアンのモデルに見出せるものだ。例えば、ヒックスはIS-LMモデルを提案し、ケインズのアイデア一般均衡の設定でまとめることを意図していた(ヒックスは1972年のノーベル賞を、ケニース・アローと共に一般均衡理論に関する貢献で受賞したことを思い出そう)。クライン、モジリアーニ、その他のモデル製作者たちは、より良い政策立案のためにこうした一般均衡システムをデータに適用することを試みていた。新しい総合はかなりの程度まで、1970年代の新古典派の強い要請により放棄された研究計画を拾い上げたのだ。

今になって思い返せば、新古典派の経済学者たちは彼らが提供できた以上のことを約束していたことは明らかだ。彼らが定めた目的は、ケインジアンの空論を廃棄して、納得のいくようデータに適用でき政策分析に使用可能な、市場均衡モデルと入れ替えることだった。この基準に照らせば、新古典派のムーブメントは失敗だった。むしろ彼らは、多くの面で新古典派が反対運動を行っていたモデルにそっくりな硬直的な価格を仮定する他の世代のモデルを作り上げるのに現在使われている、分析の道具立ての開発を手助けしたのだった。

ここで、新ケインズ派はある程度の弁明を申し立てることが可能だ。新しい総合は、ソローが「馬鹿げているほど限定的」と呼び、新ケインズ派の硬直的な価格に関する研究が弱体化を狙った、市場均衡の仮定を放棄している。とはいえ、新ケインズ派にしても、新古典派の誘惑に魅了され、結果としてあまりに抽象的で実践的には不十分だった研究計画を追求した点で非難され得るのだ。ポール・クルーグマン(Paul Krugman, 2000)は新ケインズ派の研究計画について、次のように評価を下している。「現在では、価格の硬直性がどのように起き得るかを説明することは可能だ。しかしながら、それがいつ起きていつ起きないのかといった予測や、またメニューコストから現実的なフィリップス曲線を構築するモデルに関しては、どうみてもいずれ明らかになるようには思えない」。一連の研究に関わった私でさえ、この評価にはいくらかの真実があると認めざるを得ない。