帰国雑感

ということで昨日帰ってきました。

シンガポールではまたマンダリンホテルでチキンライスを食べようと思っていたのだけれど時間切れで果たせず。代わりに空港のフードコートでS$9のチキンライスセットを食べてきました。ちょっとライスがパサパサだったけどおいしかったよ。おいしいものはどこで食べてもおいしいのだなあ【ただ空腹のsvnseeds】。

一方、かなり期待していたチャンギ空港ANAのラウンジはしょぼいのひとこと。成田との落差が激しすぎ。寛げるどころか非常にわびしい気分になれること請け合いです。今どきダイヤルアップ環境しかないってどうしたことですか。いくらビール飲み放題とはいえ、ちょっとこれは納得いかないものがあります【誰に文句をsvnseeds】。

あーそういえばそのわびしいラウンジの更にわびしい喫煙室で、今回のバリ島テロにニアミスしたというドイツ人のおじさんに出会う。なんでも現場(のひとつ)のレストランから200mしか離れていないところにいた由。そのレストランは地元では有名らしく、彼もそこで食事することを勧められたのだけど、時間通りに行動するのが嫌だったので予約しなかったらしい。Lazyだったから助かった、とのこと。

九死に一生を得た実感をじわじわと得ているのだろうそのおじさんが、何度も「理解できん」と繰り返してたのが印象的だったな。イスラムに限らず、キリスト教徒同士でもまだテロがある、理解できん、と。

でもなー、宗教ってのは真面目に信心すればするほど非寛容になっていくものだし。貧しいとそれに拍車がかかる。ドイツや日本や米国では見出すことのできる、実際の生活と宗教的な信心との分離ってのは、実はどこにでも見出すことのできるものではないのだよなあ。

そういえば一部で話題の進化論と日本人の話にしても、当時の日本人は現在の日本人(や多くの経済的に豊かな地域の人々)と同じく、生活と信心を分けて考えることができた、ってだけじゃないかしらん。若き山本七平に説教した米兵は、右の頬を打たれたら左の頬を差し出しただろうか。

要するに宗教がどれだけ実生活を規定しているかなんてのは五十歩百歩であって、それらが一致してないのは何も日本人だけじゃないだろう。それに(どうやら暗黙に当然とされている)これらを一致させるべきかどうかという問題だって単純に決まる話ではない。つくづく、rigidな人は他者にもrigidだよなあ。

そもそも日本人に見られるという進化論や科学が無批判に受け入れられる傾向を、この実生活が宗教的でない(または隠れて宗教的である)ことが原因であるとする理由が僕には良くわからない。だって前者も後者も別に日本人に限って見出される特徴なわけじゃないでしょう。前者なんか単に批判的思考ができないことの結果に過ぎないわけだし、それは権威主義という名前まで付けられて世界中で見出されるものだ。

この山本七平って人はやたらと日本や日本人は特殊だ、って言ってたみたいだけど、それってただの田舎者的視野狭窄にしか見えないんだよなあ。この例で言えば、批判的思考ができないのは日本人だけ、もしくは日本人は他国人と比較して顕著に批判的思考ができない人の割合が多い、って事実があるんだったら話は別なんだけどそんなことないでしょ。もちろんそういうこと言う人は多いけど、あくまで感覚や印象に基いた思い込みに過ぎないわけですよ。

例えば、日本でキリスト教が受け入れられない理由を知りたいんだったら、最低でも同様にキリスト教が根付かなかった国や地域と比較考察するべきだろう。それがなく日本ただ一国の歴史的考察で済ますなら、そりゃ単なる思いつきの反証不能な戯言ですよ。

山本七平の本は何冊かめくってみたのだけど、こんな感じで全体におっさんが筋の通らない説教をしてる印象があり好きになれない。参考文献も何もないし。まエッセイとして読むには良いかもしれないけど、あまり言ってることを真面目にとる気にはなれないな。山本教じゃあるまいし。

日本人がどうしたということを言いたいのだったら、まず「木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか」(ASIN:4478910189)を一読されることをお勧めします。沢山の実験の結果に基いており少なくとも反証可能性は担保されてますしw。

ところで進化論を反証不可能としてサイエンスではない、と否定するのはなかなかに味わい深い構造を持っているのだなあと今頃気付いた次第。というのも、反証可能性をもってしてある論をサイエンスかそうでないかとする基準とするならば、サイエンスの時系列的な変化(あえて進化とは言わないよ)はダーウィン的進化論が唱える生物におけるそれと同じ変遷をたどるであろうからだ。

要するに批判するのに用いている道具と批判対象が同じ構造をしているわけで、その道具を批判に用いることを正当化するのであれば批判そのものができなくなってしまうというジレンマが存在する。もちろんこんなことはとっくに指摘されているだろうからきっと巧妙な言い逃れが用意されているに違いない。どなたかご存知の方、是非教えて下さいまし。

そういえばID論では生物が何故子孫を残すのにこれだけ多様な戦略を用いているのか、説明できるんだろうか。というよりも、ID論は進化論で説明できない何を説明できるんだろうか。ID論を擁護する連中が、単にダーウィニズムは完全に正しいと言い切れないからと言ってその他の対立する説を同等に扱うべきだと考えているのだとしたら、それは悪しき相対主義であって知的怠慢と言わざるを得ないんじゃないか。良く知らんけど。

ていうかID論を考えるとき、なーんかルイセンコって名前が自然と浮かんでくるのは気のせいかなあ。擁護者にまずイデオロギーありきってところがすごく似てるように思うんだよなあ。方や旧ソビエト、方や米国と地理的に考えると更に趣が深いわけですけど。あ、日本には今西進化論ってのもあったなあ。わはは。

となんか全然雑感でなくなったところでこの辺で。