リフレ雑感

リフレ政策に対する良くある低レベルな反論のひとつに、「それがまともな政策だったら何故いつまでたっても実行されないのか?」というものがある。要するにいつまでも実行されない政策はまともじゃないと言いたいらしい。ふーん。

これが低レベルな言説なのはもちろん、まともな政策であっても全く実行されないことがあり得るという可能性を考えてないからであり、またある政策がまともかどうかをその政策の実現可能性で判断しているからでもある。そういった長いものに巻かれたい連中が多いと、お見合いが続いてまともな政策も結局は「実現可能性が薄い」から「政治的に困難」って話になってしまう。そういうのを政治が好きすぎると言うのだ。馬鹿馬鹿しい。

要するに、政策をその中身でなく、みんながその政策についてどう考えているかで判断しようとする連中が多すぎるのだな。つまりケインズ美人投票よろしくファンダメンタルズが欠落しているのだ。そしてリフレ政策について言えば、こんなことになってしまっているのはかなりの部分、社会主義/マル経の呪いのせいだし、というのはつまり思想が好きすぎるせいで政治が好きすぎるせいだ。正直、自覚がある連中は自覚が無い連中よりも始末に負えない。

とか書いたら「『俺たちは正しい、後はみんなバカだ』と言っているに等しくて小児病的」とか言われるんだろうなあ。わはは。よくわかってないのに適当なこと書き散らかしてなんか言ったつもりになってる連中をちゃんとバカだと言える日がくるといいなあ。

・・・ということを書いたのは花粉症でアレなせいだけでもなく、主に「クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門」(ASIN:4393621662)を再読中だからか。なんというか基本的に全部言い尽くされているのを改めて感じるわけで、無力感でいっぱいですよ。あーあ。もう寝ます。ごきげんよう