しかしアレだなあ

グローバライゼーションは自由放任を意味する、みたいな勘違いはどこから生じているのだろう(修辞的疑問表現)。まあそれ以前に未だに搾取がどうとか言ってる人がいるのでアレなんだけど。
こういう人たちは、いわゆる第三世界社会主義を目指して政治的にぐちゃぐちゃになって結果として余計に貧しくなってしまったこの40年ばかりの歴史をどう見ているのだろう。小1時間問い詰めたい、気もちょっとするのだけどどうせお話通じないだろうなあ*1
というようなことやあれやこれやを「エコノミスト 南の貧困と闘う」(ASIN:4492443045)を読みながら考える(あと少しで読み終わる予定なり)。確かにIMFや世銀はひどい失敗を色々やっているけれども、それでも身内からこうした論考が出てきて、しかも軌道修正が必要な都度行われている、ように見える。
一方、こうした反省って社会主義者たちや思想系の人たちってしてんだろうか、という素朴な疑問がどうしてもうかんでしまう。外から見てるといっつも身内で叩き合いばっかりしてるみたいなんだけどどうなんだろう。
いや要は「反グローバライゼーション」の運動ってのは60年代の社会主義ブームに似てるんじゃないの、とふと思ったのですよ。過去の失敗をちゃんと総括しておかないとまた同じことになっちゃうんじゃないかなあ、と。
ってそもそも失敗と認識できてなければしょうがないんですけどね。わはは。「失敗を定義するには何が正しいかを定義する必要があり、一方でそもそも正しさとは相対的なものであり云々」って始まっちゃいそうだ。無敗の相対主義万歳。
ところで開発経済学って面白そう。僕のテーマのひとつに日本の近現代史があるのだけれども(最近全然これ関係の本読めてないけど)、その理由は「何故日本はここまで来たか/来れたか」なのだったりするのです。何が彼我の違いを作ったのだろうか、それを知りたい。えーと、「国民性」とかはナシの方向で(笑)。人はインセンティブに反応する*2のだから。

*1:って書くと、それ以前の植民地政策をどう考えるの、って言われそうだなあ。不毛だなあ

*2:エコノミスト 南の貧困と闘う」のテーマとも言えるフレーズ。これには禿同の至り。経済学とは人とインセンティブとの関係の学問なのだ