僕とみんなと僕の考えるみんな
テレビも新聞も雑誌もロクに見ないので、実は多数派とかみんなってのがよくわからんのです。どっかにいるんだろうな、って感じで。チベットかどっかの雪男みたいな感じ。わはは。
僕は自分が正しいと思っていることは正しいと思っていて、よくわからんと思っていることはよくわからんと思っていて、でどっちにしろその見解は現時点のもので将来変わりうるのが前提と思っている。
だから自分の考えなり意見なりが多数派なのか少数派なのか、ってのはどうでもいいというか、ちゃんと考えたことがない。まあ少ないんだろうなあとは漠然と思ってるけどもしかしたら多いのかもしれない。普通でまともなのは常に自分なんですけど。わはは。
というかそもそも他の人に関心がないみたい。つまり関心があるのは自分だけ。だから「みんな」の考えてることはわからんし興味もないと。しかしこれは鶏卵問題かもしれなくて、そもそも考えてもわからんので興味がなくなったのかもしれない、と考えると奥が深い。かもしれない。どうかな。どうすか。
それはともかく僕の考える「みんな」と、いわゆる「みんな」(って、みんなって、あんたと、あと誰?)は往々にして全然違ったりしてて興味深い。そういうときは一応自分の中の「みんな」といわゆる「みんな」を擦り合わせてキャリブレーションしてみたりするんだけど、毎回基準が違うみたいで結局ブレの無いちゃんとしたモデルを作ることができなかったりする。為替の動きみたいなもんだ。毎日テレビ見ないとダメかな。
ということでみんなとか多数派とかってのはよくわからんので、そっち側にいたいって発想がよくわからん、ってお話でした。だってそんなよくわからん、自分のコントロールのきかないところに立脚点を置いたらぐらぐらしてあぶなっかしいじゃないですか。ってそうかみんなあぶなっかしいのが好きなのか。やっぱりわからんなあ。わはは。