デフレ論者は何処に消えた?

どうやら5/17付産経新聞に載った記事の使いまわしのようで。まだ産経のサイトには載ってないけど、バックナンバーは読めるのでじきに上がってくるでしょう。
その産経の記事に対して、bewaadさん経済@苺きちんと批判されていたのでご紹介。
もう何も付け加えるべき点はなさそうなのだけど、一点だけ。世界的なコモディティの価格上昇は原油関連を除きもうとっくにピークを過ぎたというのがコンセンサスになってます。原油も昨日の動きを見るとやっとピークを打ったと考えても良いかもしれない(まだわかりませんが)。
そもそもコモディティ価格の上昇がインフレ率に影響を与えるためには、これからも継続して価格が上昇し続けなくてはならんのです。原油以外はもう価格上昇の気配はないので、インフレ懸念のひとつにコモディティを挙げるのは筋悪です。
でも日本のメディアを見ると、米の利上げ、中国の引き締め、コモディティ価格の上昇が相変わらず三題噺のようになってるんですよね。はっきり言ってセンスなさすぎです。米国の心配する前に自分のところの心配しろっての。だいたい君たちが景気回復っていうともう実際には落ち込み出してることが多いのだよ。わはは。
【追伸】bewaadさんの気合の入ったキムタケ批判はここ。しかし木村剛って、タチの悪さで言えば竹内久美子以上だよなあ。
【追伸2】まあ確かに「10年デフレ」とか「100年デフレ」とか「ミレニアムデフレ」とか言ってた連中には腹を切って詫びてもらいたいところではある。でもトンデモ具合から言ったらキムタケ@キャピタルフライトも同様なんだよなあ。タチ悪いなあ。

メモ

シロウトさんには理解しにくいことの二(1)
シロウトさんには理解しにくいことの二(2)
クロウトの先生の寸評。参考になる。

ええと今回のWinny事件に関して出てくる意見を読んでいると、法律家・法学者が(まあ私もそのハシクレに入るわけだが)刑法の問題として故意が認められるかどうかという議論をしているのに対し、それ以外の人々が表現の自由とか通信の秘密といった憲法上の価値を持ち出しているという対比が、結構鮮明である。

ってことは、やっぱりこの前書いたことはそんなにポイントを外してないってことなのかな。法律界隈wは全然詳しくないのでわからんなあ。

我慢しないと見えてこないもの

というのが世界にはたくさんあるらしいんだけど、僕は我慢が足らんので結局見えないものだらけなんだろうなあと激しく思う。でも流石にこの歳まで生きていると、あることをするのに我慢し続けないといけないようでは結局モノにならんということなのだけはよくわかってきましたよええ。
なんにしても最初のうちは慣れないから我慢が必要なのは間違いない。で、ある程度時間がたって、それでもまだ我慢が必要だったとしたら、自分はそれに向いてないんだと考えた方が素直だし幸せだろう。
僕がここで想定しているのは、例えば楽器の練習だとかプログラミングだとか研究における実験だとかのことだ。僕は最初の二つは向いていたけど(続けるのに我慢する必要がなくなって、こんなに楽しいものはないと思うようになった。上手かどうかはまた別の問題w)、最後の1つはいつまでたってもダメだった。正直、実験器具をいちいち洗うのに我慢できなかったのだ。わはは。だから研究者になろうなんて考えもしなかった。
「みんな我慢してやってんねんぞ!」という言葉が、本来全く我慢する必要がないようなことに関して発言されたのだとしたら、id:Bonvoyageさんに全く同意。もちろんBonvoyageさんが書かれたこの状況ではきっとそうなんだろうな、と思う。
僕も人よりシステムに先に目がいってしまうし(制度を憎んで人を憎まず)、馬鹿馬鹿しいことには我慢できないたちなので、同じ状況であれば「じゃ今後は『みんな』から僕を除いておいてくださいね」とか捨て台詞残して去ってしまうだろうなあ。別に僕は思考レベル高くありませんが。わはは。
一方、もしこの言葉が、最初に書いたような状況、つまり最初のうちはある程度我慢が必要かもしれない事柄に関連して発言されたのだとしたら、それは言った人と言われた人と、二重に不幸なことであると思う。我慢した先にある何か素晴らしいものを見せられない/想像できないのは本当に悲しいことだ。
でもそうした素晴らしいものっていうのは、実際には見られるようになった人にしかその素晴らしさがわからないものなのかもしれない。禅問答ではないけれど、わかった人にしかわからない、言葉では伝えられないものというのは確かにある。やり続けてその先にはじめて見えてくるそれは、続けている人にしか見えないものだ。
楽器を教えていると時々、この言葉で伝えられないものをどう伝えれば良いか悩んでしまうことがある。一番良いのは「背中を見てもらう」ことなんだけど、見ちゃいない奴もいるし、そもそも僕にそれだけの魅力がなければしょうがないからなあ。難しいなあ。ここはやはり我慢してじっくり・・・いや僕は我慢が足らんのでそれは・・・(最初に戻る)。

「経済現象は量子現象より複雑」?

A.R.Nさんのところより。

森だろうが水だろうが人間だろうが、すべてが原子なり量子なりとその相互作用によって成り立ち、しかも少数の数式で表現できてしまうということは受け入れながらも、経済学がその枠組みに収まらないと主張する思考が私には理解しかねる。

禿同の至り。経済は量子現象とか複雑系とか心霊現象とかプラズマとか、そんなこと言い出す前に物理学で気体分子がどう扱われているかを思い起こせば十分のはずなんだけどそれがわからん人が多すぎる。中村正三郎氏は金子勝の本でも読んだに違いない。ちゃんとした教科書読めば良いのに。
というか「経済学を学んで株や為替が云々」とか言ってる時点でダメダメすぎ。そんな理解じゃ「テキトーに独学」以前どころかそのはるか手前の更に3歩下がってナナメ45度上を超低空で音速飛行してるって感じだよう【それは言い過ぎsvnseeds】。しっかりしておくれ。
経済学がなんでここまで嫌われるかだけれども、やっぱりマル経の時代が長すぎたんだろうと思う。マル経の教義ってデフォルトで企業は悪で国家は敵なんだから、まともな経済学的思考ができるとは到底思えない。一掃して博物館行きにするにはどうしたら良いのだろう。
あと稲葉さんの本を読んでいて気付いたんだけど、たぶん一般の人の経済全般に対する理解は「弱肉強食」で「適者生存」なんだろうなあ、と。正直僕もそう思ってたし。
でも実はそうではなく共存共栄するための方策というのがちゃんとあって、それをいかにうまくインプリメントするか、ということを研究しているのが経済学なのだ。理解がまるで逆なんだよなあ。これは経営と経済をごっちゃにしてるからに違いない。
だから、例えば国同士が経済で競争するとかって馬鹿馬鹿しいお話がまかり通ることになる。競争してんのは企業でしょうが旦那。今どき国同士が何を競争する必要があるのだろう*1。オリンピックじゃあるまいし。ああ馬鹿馬鹿しい。
とは言え、いくら馬鹿馬鹿しいことでもみんながそれを信じていれば実際にそう動くのが政治というものではある。今まで散々、政治がまずいのを官僚や政治家のせいにすることを繰り返してきているけれども、実際に悪いのは有権者の判断と、有権者の唯一の政治管理ツールであるところの選挙制度なのは明白だろう。明白ですよね。ねえ。

*1:今後更に人口の減少が続くようだと人という最重要なリソースをめぐって実際に競争しだす可能性はあるやもしれぬがこれはまた別の話