経済学者と科学者?
ひろさんから話題をふられたのでお答えしてみる。発端はnightさんのところのこのエントリのコメント欄から。毎度お騒がせしておりあいすみませぬ>nightさん。
ということでまずひろさんの主張を整理してみる。僕がみるところ、今回、ひろさんの言いたいことは以下のようなことではないかと思われる。
1. 理論とは本来実験/実践を通して実証してみせるべきものであるが、経済学者はそれを全く行っていないか、非常にいい加減にしか行っていない
2. 故に、経済学の「理論」は現象に対する後付けの説明に過ぎず、現実の役にたつようなものではない
3. また、このような経済学者の理論と実証に関する態度は知的な誠実さに欠けており、傲慢であると言わざるを得ない
で、まず1の経済学者は理論の実証を放棄しているという主張に関して。正直、何をどうしたらこのような主張が出てくるのかさっぱり理解できない。入門レベルの教科書であるブランシャールのマクロ経済学(ASIN:4492312609:4492312617)をざっと眺めるだけでも、ほぼすべての章に経済理論とその実証研究のさわりが紹介されているのがわかる。以下に挙げるのはあくまで一例に過ぎない。
- クリントン政権における財政赤字削減の取り組みの理論的枠組みとその結果について(第10章)
- ドイツ統一が利子率とEMSに与えた影響について(第13章)
- 為替レートの決定理論と80年代の「ドルのダンス」について(第14章)
- ハイパーインフレーションの理論と実証研究について(第21章)
また、リフレ派に関係するところでいくつか挙げれば、ぱっと思いつくだけでも以下のものがある。
- 「大恐慌の教訓」ピーター・テミン(ASIN:4492370749)
- 「昭和恐慌の研究」岩田規久男 編著(ASIN:4492371028)
- 「長期不況の理論と実証」浜田宏一 他(ASIN:4492394281)
- 「デフレ不況の実証分析」原田泰 他(ASIN:4492393870)
- FRBによる日本のデフレに関する研究「Preventing Deflation: Lessons from Japan's Experience in the 1990s」
これらのどれもが、理論を提示し、現実のデータによってその実証を行っているものだ。つまり、そこでの結論に関して納得がいかないという主張であればともかく、経済学者がその理論の実証を十分に行っていないという主張は到底受け入れられるものではない。
次に2点目の、経済学の「理論」は現実の後追いに過ぎず、「現実」の役に立つようなものではない、という主張について。これに関しても、どうしてこのような主張が行えるものか首を傾げざるを得ないけれども、あえて上に挙げた「理論」の「現実」へのインプリケーションをいちいち書き出してみれば次の通り。
- クリントン時代の財政赤字削減に関しての理論と実証研究は、現在の米国における「双子の赤字」問題について重要な示唆を与えるものである
- ドイツ統一がEMSの固定為替制度に対して与えた影響に関する理論と実証研究からは、固定為替制度全般について、EUの今後について、「東側」の国が崩壊した際の影響について重要な知見を得られる
- 80年代の「ドルのダンス」に関する研究からは、現在の「ドル安」の進行と今後の展開に関して重要な知見を得られる
- 第一次大戦後及び近年の南米におけるハイパーインフレーションに関する研究からは、ハイパーインフレと通常のインフレとの違い、及びインフレの昂進のコントロール可能性に関して重要な知見が得られる
- 大恐慌及び昭和恐慌の研究からは、現在日本が陥っているデフレは脱却可能であること、またいかに脱却するべきかについての重要な知見が得られる
- 90年代の日本のデフレに関する研究とそこで得られた知見によって、米国はデフレに陥ることを瀬戸際で回避することが可能となったと考えられる
このように、経済学の理論は、実証を通して「現実」に対して様々なインプリケーションを与えるものだ。そもそも理論が理論足りえるのは現実を予測する力があるからであり、これは経済学だろうがサイエンスだろうが変わりは無い。つまり、個別の理論の有効性に関する議論であればともかく、経済学の「理論」が「現実」に対して有効な示唆を与えることはないとの主張もまた、到底受け入れられるものではない。
ということで、3点目、経済学者は知的に不誠実で傲慢であるという主張だけれども、以上見てきたことから、僕にとっては、今まで散々教科書を参照せよと薦められているにも関わらず、なんの具体例も裏付けもなく以下のように書いてしまうひろさんこそが、知的に不誠実であり傲慢であると結論せざるを得ない。
科学者は、実験と理論が命です。理論が先行して、実験が後を追い検証する。
新たに見つかった不思議な現象を説明する理論を考える。自分でいうのも
何ですが、真摯な姿勢だと思います。一方で、経済学者はその姿勢が著しくかけているのではないか?と思います。
実験とは違い、経済にはさまざまなノイズが乗ることをいいことに、ノイズに
適当な名前をつけて、例外扱いにしてしまいます。
科学者は自分でやるかどうかはともかく、実験というものを通じて自分の理論を
確かめようとします。一方で経済学者は経済が巨大であることをいいことに、そういったことをしようと
しないように見受けられます。
だからといって、まったく経済学が実際の役に立たないとは、言いません。
ただ、現実の後追いだなぁと思わざるを得ないです。
もしひろさんが、ご自分は「同じものを見て複数の見方を受け入れ」られると自負されるのであれば、少なくとも上に挙げた発言に対して、個別に具体例を挙げ、改めて論じるべきではなかろうかと信じる次第。それが「真摯な姿勢」というものではなかろうか。どうだろう。