Politic : adj

id:finalventさんのところより。この定義、僕には非常にしっくりくるのでメモ。
そういえば以前、「政治的」なものの見方/考え方を最初から導入することの恐ろしさについて、ていうか気質の違いについてで、僕は次のように書いている。

僕の見解では、経済学とはトレードオフを認識するものであり、政治とはそのトレードオフを調停するものです。つまり、合理的に出されたトレードオフを、合理性以外のものも含め勘案した上で調停するのが政治の役割だと考えるわけです

で、なんとなくそれを踏まえた上で、id:kmiuraの10/7のコメント欄に、

「狭い世界のgivenな前提」を僕は政治と呼んでいた

と書いた。調停に関わることであれば前提は狭くgivenに与えられているだろう、という意味だったつもり。
要は「現実的な」前提をいったん外して考えるのが経済学的、前提するのが政治的、というのが僕の定義。まあ定義の問題なんで人それぞれだろうからこれを押し付けるつもりは全然ないので念のため。
ついでに、ちょっと脱線気味に考えていることをまとまらないまま書いてしまうと、ここの最後に書いたトップダウンボトムアップという2つのものの見方が、それぞれ(ここで僕の言う)経済学的と政治的なものの見方に対応しているように僕には思える。
例えば、例のマネーサプライ論争における岩田先生と日銀エコノミストの立場の違いなんかまさにそんな感じ。金融論でばっさり大上段から切る岩田先生(とは言ってもものすごく細かい話もちゃんとしている)と、日々の金融調節のオペレーションの現場からの問題を積み上げていく日銀エコノミストは激しいコントラストを成している。この辺の話は近々まとめて取り上げる予定なり。
で、更に激しく妄想をたくましくすると、Ririkaさんがお薦めしていた「1冊でわかるヨーロッパ大陸の哲学」(ASIN:4000268724)における「科学主義と非明晰主義」の立場の違いも、トップダウンボトムアップのアプローチの違いなんじゃなかろうか。まだ読んでないまま言ってますが。わはは。
更に更に禿妄すると、id:flapjackさんが何度か取り上げられていた「木を見る西洋人 森を見る東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか」リチャード・E・ニスベット(ASIN:4478910189)におけるAsiansとWesternersの違いもまた、トップダウンボトムアップのアプローチの違いなんじゃなかろうか。これもまだ読んでないまま言ってますが。わはは。いやたまたま見かけたので購入したのはいいんだけど読む暇ありゃしない。うう。
で、こうしたアプローチの差は、突き詰めると個人の気質、つまりどう考えるのが自分にとって心地良いのか、の違いなのではないだろうかどうですか。というのが僕の妄想。もちろん文化的な差はあるだろうけども、その中でのバラツキは気質の差だろう。ということで話は例のタイプ別性格診断にまで行き着くのであった。わはは。
って妄想はいいけど「トップダウン」と「ボトムアップ」のアプローチの違いをちゃんと定義しないと話が進まないなあこりゃ。いつか書きます。いつだ。むむ。