「はしご」についてもうちょっと考えてみた

「はしご」の特異性とは、人との繋がりという資産が排他的な利用しか出来ないという前提にあるのではないか、と思った。ある資産に対して独占権や優先権が主張される場合というのは、その資産が、他人が利用してしまうと自分は利用できなくなってしまうという特性を持つ場合だろう(参考:山形さんのコメント)。
友達を排他的な資産だと思うってのはずいぶんアレだけれども、この特異性を子供特有の独占欲の強さに原因を求めてしまうと話が面白くなくなってしまうので無理やり話を進めてみよう。
子供達にとって友達が排他的な資産にあたる場合というのは、他の子と遊んでいると自分と遊べなくなってしまうという状況だろう。これは「遊び」の定義によるのだろうけども、こう考えると集団で遊ぶことが少ない(と思われる)女の子にこの傾向が顕著だというのはなんとなくわかる。ような気がする。しませんか。どうですか。
で、そうすると、仮にこの傾向が男の子にも広がっているのだとすれば、男の子の遊び方が変ってきたというのがその背景にある、ということが言える。ような気がする。しまs(略。ああなんか子供の遊び方って昔と違って最近はゲームとかばかりでうんぬん、ってよくある面白くない話になってしまったな。わはは。
まあなんにせよ、社会に出るなり高校/大学に進学するなりして交友範囲が広がることで、お互い排他的な関係を結んでなぞいられなくなりこの特異性は消えていくのだろう。彼らが大きくなっても同じようにネットを使っていたらそれはそれですごいことだけれども、たぶんそういう可能性は無いだろうな、と思う。
ネットは確かにコミュニケーションの幅を広げるけれども、元々広いコミュニケーションとは何かがわかっていない人にはその特性が有効に生かされない、という教訓めいたお話にもなるなあこれは。2ちゃんねるとの対比を考えても面白いかもしれない。何か思いついたらまた書きます。