反戦はカコワルイのか?

cokeさんから反応。うーむ、「天下国家を論じる方がエライと受け取れるような書き方」だったかなあ。エライというよりは効果的、ってつもりで書いたんですが。同じか。反省しなくちゃな。
確かに戦争反対に理屈はいらない。でも同時に「あの国は許せない」「断固叩くべし」「お国(正義/自由/民主主義/アッラー/愛する家族、何でも可)のために!」ってのも結局は感情論で理屈はいらんのだと思うわけです。「死ぬのは嫌だ」「でもお国のために!!!」って、感情だけだとそうなっちゃうと思うんですよ。現にいつもそうなってる。
bewaardさんの話では主戦派の主張は安全保障だったので、別の例でいきましょう。例えば、戦争というのは色んな利権が絡むから、おいしい目を見られる連中はあの手この手で論理的、感情的に「戦争すべきだ」と煽ってくる。既に感情的に煽られてしまっている人達に、こっちも感情的に「戦争はダメだ」と言ったところでお互い熱くなるだけでお話聞いてもらえないんじゃないかな、と。
まあ、既に「やつらをやっつけろ!」って煽られちゃった人には論理的に言っても無駄かな。むしろ煽りが大々的になる前にこそ論理的な反戦論が効果を発揮するんだろうな。というか、論理的に反戦できない人から感情的開戦論に転びそうな気もするな。昭和初期の話や小林よしのりなんか見てると(最近は見てないけどw)そう思えてならん。
あとね、僕が経済学を引き合いに出したのは、別にエラソーにカッコつけるためじゃなですよ。戦争でおいしい目を見る人達に対抗するのに、平和でおいしい目を見る人達を当てるのが効果的と思ったからです。どちらも打算だから感情が入らない(そのかわり勘定が入る・・・_| ̄|○)。感情が入らないから議論が拗れにくい。議論が拗れにくいから建設的な話になりやすい。それだけの話。まあそんなに上手くはいかないだろうけど。でも戦争によって失うものが大きいほど戦争をしにくくなるのは確実です。
といいつつ、結局、経済学持ってきた理由は、僕は人間の行動のインセンティブって所詮感情と打算だと思ってるからだろうなあ。その辺がエラソーに見える原因だろうなあ。わはは。