自衛隊イラク派遣
この件に関しては今でも僕の中では考えがまとまっていない。だから今まで触れてこなかったのだけど、ちょうど良い機会でもあるのでつれづれ思いつくことを書くことによって考えをまとめておきたいと思う。大したリサーチもせずに書いているため、これらはあくまで現時点での僕の考え、と言うよりは印象に近い。今後大きく変わる可能性があると予めexcuseしておく。
- ある時点から不可避となった派遣
まず僕は今回の派遣は止むを得ないことであると考えている。朝鮮半島の情勢やら個人的友誼やらもろもろあって、かなり早い段階で小泉首相はブッシュ大統領に自衛隊の派遣をコミットしてしまっていた。だから、遅かれ早かれ実際に派遣しなければならなくなるのは当然の流れだろう。既に事ここに至っては、感情論を煽り派遣に反対することは無益どころか有害であるとの考えには大いに賛同する。
- 大義名分、exit policy、最悪のシナリオ
では今考えなければならないことは何か。それは項頭に挙げた、大義名分、exit policy、最悪のシナリオの3つであると考える。これらは、通常であればこの並びの順に決まっていく事柄なのだが、ここでは逆に見ていくのが早いだろう。
まず、今考えられる最悪のシナリオは、影響が小さいものから順に、派遣自衛隊員に犠牲者が出ること、日本本土へのテロ攻撃、そして派遣期間の延長/逐次投入の結果当初想定した役割を大きく逸脱しコントロール不能の事態となること、の3つだ。これらに対し、それぞれどう防ぎ、現実のものとなった際にはどう対応するかを決めておかなければならない。
そして、これらの最悪のシナリオが現実のものとなってもならなくても、どう事態を収拾するかは決定されていなければならない。言い換えれば、どの時点でどうやって手を引くのか、が予め決定されていなければならない。
そして、そのexit planを決定出来るのは、何故今回派遣を行ったのかの目的、つまり大義名分のみである。
- 日和見主義の限界
その今回の大義名分である(と僕が理解しているところの)「国としての信頼と尊厳を保つ」は、いかにも弱いと考える。「国としての信頼と尊厳を保つ」ために、我々は何をするべきで、それはいつまで続けなければならないのだろうか?テロとの戦いに勝つまでだろうか?テロに勝つとはどういった状況を指しているのだろうか?
僕は、「国としての信頼と尊厳を保つ」は派遣の理由にはなるが目的には到底なり得ないと考える。exit policyが自動的に決定しないような大義名分はゴミだ。
そもそも、派遣先が安全かどうかを散々議論した後で信頼と尊厳とはちゃんちゃらおかしいではないか。
- 民主主義は最悪の政体だが他の政体よりはまし
僕は事ここに至ってしまっては派遣は止むを得ないと考えていると最初に書いた。しかし大義名分を欠いたまま事を起こすのは下の下策であり、またにわか作りの大義名分ではexit policyもシナリオ作りも決定しないのは明らかだ。
今からでは既に十分遅く、挽回できるか明らかでもないが、しかしそれでもまともな大義名分を新たに掲げることは最重要な点であり、そのために議論を続けていくことは絶対に必要なことと考える。
- 局所最適で考え続けることの怖さ
一方で真に恐ろしいのは、止むを得ないものは止むを得ないとして過去の決定を所与と受け入れてしまう風潮だ。これは最悪の結果を産む思考停止に他ならない。既にその兆しが現れているように思う。
過去に打った手がまずかったにも関わらずそれを所与の条件として局所最適解をその都度求めていった挙句、泥沼に嵌って行ったのが先の大戦だ。決して集団が狂気に駆られて暴走したのではない。その時点時点では最も合理的な決定が下されていたにも関わらず悲惨な結果を招くこととなったのは、偏に過去の決定を覆す大局的な視点と勇気を持たざるが故なのだ。この教訓が生かされることを祈る(が、期待はしない)。