科学者とエンジニアとしてのマクロ経済学者(7)

【この文章は、N. Gregory Mankiwの"The Macroeconomist as Scientist and Engineer"を勝手に翻訳したものです。段階的にアップロードしていく予定です。内容などおかしなところがあれば、メールもしくはコメントにてご指摘いただければ幸いです】


中央銀行からの視点


もしも神が現実の問題を解決するためにマクロ経済学者を創り出したのならば、聖ペテロが最終的に我々の経済学的エンジニアリングへの貢献について審査することになるだろう【訳注:聖ペテロは天国の門を守るとされている。「聖ペテロ 審査」で検索すると吉】。それでは問おう。過去数十年間の景気循環理論の進展は、経済政策の策定をより良いものにしただろうか?もしくはより謙虚な目標設定として、マクロ経済学の科学の進歩は、政策プロセスにかかわっている専門的なエコノミストによる経済政策の分析と議論をどの程度変化させただろうか?

こうした質問への答えを見つける場所のひとつに、ローレンス・メイヤー(Laurence Meyer)による魅力的な回顧録である「A Term at the Fed」が挙げられる。メイヤーは1996年にワシントン大学の経済学教授の職を離れ、卓越した経済コンサルタントとして連邦準備(Fed)の理事を6年間勤めた。彼の著作は、金融政策策定の上層部にいるエコノミストが、彼らの任務と経済分析の取り組みをどのように考えているのかを垣間見せてくれるのだ。

この本は読者に明確な印象をもたらす。近年の、新古典派または新ケインズ派のどちらによる景気循環理論の発展も、ほとんどゼロに近い影響しか実際の政策策定に与えていない、というものだ。メイヤーの経済変動と金融政策に関する分析は、理にかないまた繊細であるのだが、しかし現代マクロ経済学の理論の痕跡は見られない。それは1970年のあたりに主流であった新古典派-ケインジアン総合を学んだ者にとってはほとんど完全にお馴染みのものであり、そして当時以降の学術的な文献は無視され続けたのだった。メイヤーの世界観は、もしこれが彼特有のものであれば、時代遅れのものとして容易に却下することができるだろうが、しかしそうでもないのだ。こうした世界観は、世界の中央銀行の最高の地位にいるエコノミストに典型的に見られるものなのだ。

研究者の間では、ルール対裁量に関する文献、特にキドランドとプレスコット(Kydland and Prescott, 1977)によって始められた時間的整合性に関する研究に、中央銀行は強く影響されていると信じることが流行している。二つの制度上の変更がこれらの学術的な貢献として関連付けられている。それはニュージーランドに見られるような中央銀行の独立性の強化であり、また世界中の多くの中央銀行によるインフレーションターゲットの政策レジームとしての採用だ。これらの制度上の変更は、同様に、金融政策の改善に関連付けられている。この論法によれば、過去20年間に多くの国が享受した低く安定したインフレーションについて、キドランドとプレスコットに感謝しなければならないことになる。

しかし、この自画自賛の考え方は二つの問題を生じてしまう。第一に、我々が観察したこれらの制度上の変更は、せいぜい漠然としか理論的文献に関係していないのだ。独立した中央銀行は、ルールに縛られた中央銀行と同じものではない。アメリカの連邦準備は以前から、政策ルールに自らを縛ることなく、高度な独立性を保ってきた。インフレーションターゲティングですら、政策ルールへの公約というよりは、決意の表明、および民間とのコミュニケーションの手段に近い。ベン・バーナンキ(Ben Bernanke, 2003)はこれを「制約付き裁量」と呼んでいる。

第二の、より重要な問題として、これらの制度上の変更は、我々が目撃した金融政策の改善と必ずしも関係していないことがある。ローレンス・ボールとナイアム・シェリダン(Laurence Ball and Niamh Sheridan, 2005)は多くの国の事例に注目し、インフレーションターゲティングの採用は、近年の低く安定したインフレーションへの動きを説明する助けにはならないことを示した。金融政策は、インフレーションターゲットを採用した国もそうでない国も改善しているのだった。この世界的なインフレーションの結果の改善は、世界の経済が1970年代に経験したような負の供給ショックを経験しなかったためかもしれず、また高いインフレーションは根気強く避けるべきであるという1970年代の経験にセントラルバンカーたちが学んだためかもしれない。しかし事実はインフレーションターゲティングは良い金融政策の必要条件ではないことを示しているのだ。

グリーンスパン時代の連邦準備がこの点で実例となる。アラン・ブラインダーとリカード・レイス(Alan Blinder and Ricardo Reis, 2005)によれば、アラン・グリーンスパンは「史上最も偉大なセントラルバンカー」の正当な資格を持つという。実際のところ、大方の推測では、金融政策は彼の指揮の下で著しく成功したのだった。しかし彼の連邦準備時代を通じて、グリーンスパンはコミットメントよりも柔軟性に価値を置き、政策ルールについてのいかなる公表も避けた。この選択に関するグリーンスパンによる弁明は次のようなものだ。「一部の人々は政策へのこのようなアプローチはあまりに規律がないと批判する――恣意的で見たところ裁量的であり、説明が困難であると。彼らによれば、連邦準備は、形式的な政策ルールの規定を設けることにより、その運用をより形式的なものとするよう試みるべきであるという。こうした方針によるいかなるアプローチも経済実績の向上を導くだろうというのだが、しかしながら、これは非常に疑わしい……。ルールとは、本来的に単純なものであり、経済環境に重大で変化の激しい不確実性が存在する場合には、政策策定にはるかに適している危機管理的な対応策を代替し得るものではない」。しかし、政策ルールへのグリーンスパンの反感にも関わらず、彼の連邦準備議長在職中はずっとインフレーションは低く安定していた。キドランドとプレスコットとは正反対に、グリーンスパンは、中央銀行が多大な裁量的権限を行使しながら望ましい成果を挙げることが可能であることを証明したのだった。