市場経済は不均衡が常態

id:pavlushaさん経由。カオスキター!山口薫という人。1995年のネタなんで今更マジメに批判してもなんなんですがあまりにひどいのでつい。

この人の主張、ちゃんと論文読んでないんでわからんけども(見つからないんだもん)、正直激しくアレだと思う。価格調整係数や消費者選好係数をいじるとカオス的振る舞いが観察されたから「市場経済は不均衡が常態」、ってことだけど、なんだよソレって感じ。

まず、価格を調整するときに、毎回大きな金額で調整していったら、それは均衡には至らんだろうし、結局どんな値段がつくか予測できなくても不思議でもなんともないだろう。現実にこの条件が当てはまるのはハイパーインフレ期ぐらいじゃないかな。そんな条件一般化して語られてもなあと激しく思う。

それと「消費者選好を表す心理的パラメータ」に関しては詳細が不明なのでなんとも言えないよなあ。どういう基準でどう数字を動かしてみたんだろう。

で、たったこれだけの例で「市場経済というのは不均衡な状態こそが常態」なんて言われてもハァ?って感じ。ごく単純な関数でもフィードバックが入っていればカオス的振る舞いを示すものは多いので、適当にモデル組んでいじってみたらたまたまカオスだった、ってことは別に珍しくもなんともないんじゃないか。

仮に上の価格調整係数の話を鵜呑みにしたとして、「市場経済というのは不均衡な状態こそが常態」、「新古典派経済学で考えられてきたような安定的な価格調整メカニズムはむしろ例外的で、それは常にカオス的である」ということがどういうことかって素直に考えてみると、「需要と供給の関係と決定された価格は(表面上)無関係(なように観察される)」ってことになる。価格調整メカニズムが常にカオス的ってそういうことでしょ。すごーい。

でもたぶんこの人はこんなアレな主張を本当にしたいわけじゃなくて、きっと「新古典派経済学で考えられてきたような価格調整メカニズムで予測される価格と、現実に決定される価格の間には常に差があり、その差がどれだけあるかを事前に予測することは難しい」、もしくは「ある条件下では新古典派経済学で考えられてきたような価格調整メカニズムでは価格を決定することができない場合がある」ってことを言いたいんじゃないかと思う。うんうん。至極真っ当な主張ですな。まさに「一見過激に見えるが、実は常識的でつまらないことしか言ってない」の典型じゃないか。わはは。

ま、カオスの人には今までの経済学の批判ばっかりじゃなく、頑張って「市場経済を越えた新しい経済システム」を具体的に提示して頂きたいものです。興味ないけど。つーか普通の経済学にも非線形でダイナミックなモデルとかいくらでもあると思うんだけどなんなんだろうなあ。カオスを導入する意味って何だろう?わけわからん。カオスって言いたいだけちゃうんかと。

あー、それとケインズが言ったという「一般大衆は経済学者の奴隷になっている」だけど、正しくは以下の通りです(もしくは山形さんによるケインズが本当に言ったことをご参照)。こういうもっともらしいインチキな引用がアレなんだよなあ。

経済学者や政治思想家の考えは、正しいものであれ間違ったものであれ、一般に考えられているよりも遙かに強力である。実際のところ、それらが世界を支配しているのである。知識の影響を受けていないとこと自認しているような現実的な人々も、過去の経済学者の奴隷であることが普通である。権力を握った狂人たちも、天の声を聞いていると自分では考えているが、何年も前のアカデミックな三文文士から彼らの狂気を蒸留しているのである。

「経済学者は物理学者の奴隷であったわけです」についてもつっこもうと思ったんだけど(生物学者も物理学者と化学者の奴隷ですが、何か?)、ばかばかしいのでやめ。

【追記】上の「正しい」ケインズの引用はここより孫引き。手元のマンキュー経済学(ASIN:4492312757)と微妙に訳が違うみたい。なお、どうせ翻訳なんで厳密性を追及してもしょうがないんだけど「雇用・利子および貨幣の一般理論」(ASIN:4492312188)386ページではこうなってる。

経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。

ちなみにこの後にこう続いてこの本は終わっている。

私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。なぜなら、経済哲学及び政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家やさらには扇動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。

けだし名言かな。って、早くこの本が読めるようになりたいなあ。警句ばっかり引用しててもしょうがない・・・_| ̄|○