愛国心
id:kmiura経由で「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編。おー、なんか僕が書いたんじゃないかと錯覚してしまうなあ。足りないのはわははくらいで。って僕がこんなに丁寧にわかりやすく書けるはずはもちろんないので激しく錯覚なんですけど。というか松永さんすみませんすみません。
もともとスポーツに全然興味ないってのもあるんだけど、僕もオリンピックとかで日本選手を熱狂的に応援するのって昔からよくわからない。日本人がノーベル賞とってもとらなくても僕には関係ないし。誰がとってもすごいものはすごい。海外に行ったときに、どこも日本製の車や家電製品であふれているのを見て、単純にすごいとは思うけれども(いやこれはまったくすごいことです)、それが「日本人として誇らしい」感情かというとそうじゃない。例えばサムスンや現代の看板見ても同じようにすごいと思うからなあ。
これはkmiuraのところのコメント欄に書いたのとまったく同じ話なんだけども、何が気持ち悪いって、愛国心だかなんだか知らないけど、そういった感情を抱くのを「自然」だと言い切ってしまう人が多いこと。
子が親を敬うのが「自然」、親が子を愛するのが「自然」、男が女を/女が男を愛するのが「自然」、女は男をたてるのが「自然」、男は女を守るのが「自然」、男が稼いで一家を支えるのが「自然」、女は家を守るのが「自然」、家族は三世代一つ屋根の下が「自然」。「自然」ってきりがない。
こういう「自然」さってのは容易に「そうするべき」になり得る。いいからほっといてくれって感じ。というか人間には「自然」なものなんてないと考えるのが「自然」だと思うんですがダメですかそうですか。