「降りる自由」関連

bewaadさんid:kmiuraさんから更にコメントを頂く。しかしどうやらご本尊が先に「降りて」しまったようなので、僕もこれ以上この概念について考えるのやめようかな、と思います。
と言うのも上記リンクで東さんが何を言ってるのかさっぱりわからんのですよ。この件についてこれ以上考えるにはちゃんとした定義が必要なんだけど、そのためにデリダだのなんだのを読まねばならんとしたらこれはもう僕の手に負えない。やっぱり現代思想関連は好きじゃないし知らないし特に知りたくもないので、そのために時間を使うのはどうもなあ、と思うのです。
あー、考えたら、僕は最初に

「市場的価値=グローバリズム」の重視こそが「降りる自由」を保障するものではないかと思っていた。

って書いてますね。金持ちとは言わなくても、ある程度金銭的に自由でないと行動の自由もない訳で(ボートピープルと言う反例もありますが)、その点ではやはりbewaadさんの指摘はごもっとも、という気がしてきました。
最大の懸念は「金持ちしか降りられない」が「金持ちは何やっても良い」って風潮になってしまうことなのかな・・・。現実に、公営の学校教育を「降り」られるのは金持ちだけになってきてますからね。いずれは米国のように病院に関してもそうなるかもしれません。ってこれは話を広げすぎかな。
ああやっぱりまとまらない。定義が問題。もしくは問題設定が問題。この辺の話を考えるのに、きっともっと適切な枠組みがあるはずなんですがちょっと思いつかない。