意味とは何でしょう?

ヒビルテさんからお返事をいただく。
うーん、なんらかの意味で意味を扱っている(笑)無脳としては、ょゎさんのところのSixamoが挙げられるかなあ。「連想としての意味」(pdf)を実装したと聞いてますがその後如何お過ごしでしょうか>Sixamo
それと、ロイディも、名詞句を適宜入れ替えているようで、非常にシンプルな形で意味を扱っていると言えなくもない、かな?
まあ僕のGhotiも、ここで挙げた2つ(と、とぼっちと、Margarineと、かの偉大なうずら)も、無脳の中では傍流(笑)の統計処理派でして、恐らく主流と言えばこちらのようなアプローチだと思います。そちらではたぶん何かの形で意味を扱っているでしょう。

で、ちょうど良い機会なので、思ったことをつらつら書いてみよう。
ヒビルテさんのところであるふぁさんがコメント欄で書いてますが、言語学の分野での意味の扱いについて、僕も似たようなことを感じてました。(僕にとって)それがあまり魅力的でないのは、その扱い方が非常に限られた状況でしか適用できないように見えるからなんだろうな。
もちろん、モデルの設計としては、当初限られた状況を想定し徐々に制限を緩めていく、というのは王道だけど、このやり方で制限を緩めていったらすぐに破綻しそうだよなあ、とつい思ってしまう。
で、むしろ無脳としては、こういったタスク遂行型の意味の扱いよりは、俳句におけるそれのような、相手が(勝手に)解釈することで意味が漠然と立ち現れてくる、というようなものを目指したいと考えている次第。
というのも、このアプローチは統計的な処理と相性が良さそうなのだ。例えば上にも挙げた「連想としての意味」(pdf)のような感じで意味が扱えたら良いなあ。このアプローチ、要は本丸を定義せずに内堀を定義するって感じで、意味のような漠然としたものを定義するのに向いていると思うのだけどどうだろう。意味と違うものも混ざってしまうかもしれないけど。わはは。
一方、言語学よりで面白いなと思ったのはここにあるようなもの。「ヴァーチャルインファント―言語獲得の謎を解く」(ASIN:4762821845)と言う本も出てます。これも外堀から埋めていくアプローチだなあ。無脳で採用するにはちと荷が重そうなんでアレですが。
と、ろくに知りもせんであれこれ言うのは良くないので、ちょっと意味論もかじってみよう。ここなんか良さそう。論理ばりばりです。