コミュニティトラウマの再生産

圏外からのひとことより。相変わらず視点が面白いなあ。
確かにどれだけ傷ついても、どうしてもコミュニティに所属していないと気が済まない人っているいる。コミュニティをさまよい続けるんだよねそういう人って。なんなのか良くわからなかったんだけど、なるほどそういうことか。悲劇だなあ。
で、人間関係の撲滅に向けてにも共感することしきり。しかしふと思ったのだけど、我々が真にボクメツしなければならんのは「人間関係絶対善原理主義」じゃないのかな。
型に嵌った人間関係ってのは使いようによっては非常に便利なわけで、余計なコミュニケーションの手間を省いてくれる道具なんだと思うわけですよ。こういう「親子」「祖母と孫」「上司と部下」「教師と生徒」「先輩と後輩」みたいな便利な型が存在しなかったら、人間関係はもっとシチ面倒くさいことになっていたに違いない。
例えば、何も無いところから親子の関係を構築していくなんて考えただけでぞっとしませんか。僕はそんなの嫌だなあ。そんなことになったらたぶん引きこもるな。あー今じゃ「引きこもりとその親」ってのもひとつの型だなあ。
大事なのは、こういう型というのは単なる道具なので、上手く使えないシチュエーションでは使い続けることに全然意味はないってこと。ここはどうしても「親と子」でなくてはいかん、しかもその中でも「良い親と良い子」でなくては、なんてことは全然ないんだけど。うまく行かないようだったら勝手に好きにやれば良いんだけどな。どうも道具にこだわる人が多いんだろう。
と年賀状を印刷しながら思う年の瀬。昔は「年賀状を出すようなオトナには成田区内」と思っていたんだけど、人間って変わるもんですねえ。いやまだオトナになったつもりはないし、それにこの先また出さなくなるかもしらんけど。わはは。