いまや個人は,自分で自分を救済しなければならない時代となっているのだ(断言)。

禿同至極。逅游日乗より。
僕は、自らを救えない人というのはわざわざ自らを救う方法を制限している人じゃないかと考えている。自らを救う方法というのは唯一正しいこれというものがあるわけではない。社会的規範から逸脱した方法でしか自分を救えないと思い込んでしまうのは単に視野が狭いだけだ。
もっとも、視野が狭いということの責をすべてその個人に負わせることは出来ない。これは多分に環境に起因するものであるからだ。つまり本人にとっては視野が制限されていることを意識するのは非常に難しいことなのだ。空気と同じ、物理法則と同じ、Matrixと同じだ。
そもそも世界がどうあるかはその人が世界をどう見るかに完全に依存している。今ある世界を抜け出すにはものの見方を変えるだけで良い。
ただし世界の見方を変えるには外部からの刺激が必要となる。その刺激が人によって宗教だったり哲学書だったり海外への旅行だったり戸塚ヨットスクールだったりred pillだったりするわけだ。
よくある自分探しとの違いはここにある。自分なんか探すのは馬鹿だけだ。ここにあるものをよそで探したって見つかる訳ないじゃないか。自分じゃなくて世界を探せと小1時間。自分だけの、ただし他の人の世界をもその中に含む、そういう世界を探すのだ!わはは。