風景からすべて色が抜け落ちてしまう日が訪れたとして、そこから先の人生をドライブするものは一体なんだろう。

緑の恐怖さんのチルソナイトより。ご本人も続けて書いているように、それは今生きているということそのものだ、と僕は思う。
昔「世の中すべて相対化した結果何が重要なことなんだかわからなくなっちゃった病」(別名ニヒリズム)に罹患した経験からすると、生きていることの意味は今まさに生きていること以外何もない。本当に何もない。意味なんかどこにもない。
しょうがないから意味を探すことを諦めて、ただ単に生きているということを受け入れると、失われてしまった色が段段と戻ってくる。
もしかしたらそこで死を選ぶのは簡単なことなのかもしれないけど、僕には出来なかった。僕が死を望んでいるのではなく、周りを気にしたええかっこしいの僕が(つまり僕の中のあなたを気にした僕が)死を望んでいるように感じられたからだ。生きている僕は生き続けることを望んでいる。単に死ぬのが怖いからだ。
色を取り戻した世界は前よりも居心地が良いように感じられる。たぶん幸せというのは単に気の持ちようだということが良くわかったからだ。世の中は面白いことに満ちているけれど、その面白さを感じられるのは自分だけだ。

何でこんなことを書いてるのかというと、うかつにもこれこれを続けて読んでふらふらしているところへ、緑の恐怖さんのきれいな文章を読んでしまったから。こうでもしないとバランスが危ういのです。今日が金曜日で良かった。この週末、ひどい低気圧になりませんように。