何が頭にくるのか

人によって、何が頭にくるかというのは千差万別だと思う。僕の場合、世の中で気になっていることがたぶん他の人よりも少ないので、頭にくることも少ない。でも時々とても腹が立つことがあって(どうでもいいけど、なんで頭だったり腹だったりするのだろう)、それはいったいどんな場合なのか、ちょっと考えてみた。
で、結論。僕が頭にくるのは、以下の2つの条件を満たす場合だ。

  • 誰かが非合理的な判断/行動をして、
  • その結果、僕にネガティブな影響が及ぶとき

誰かが合理的な判断/行動をした結果、僕が困ったりするのは問題ない。というか困るのは問題だけど、その結果を予測できなかった僕も悪いし、しょうがないと諦めもつく。
一方、僕に何の影響もなければ、どこの誰が非合理的なことをしようと関係ない。どうぞ存分に非合理性を楽しんでください。
問題なのは誰かがわけのわからんことをして、その結果僕が困る場合だ。この場合、どうしてそんなに頭にくるのだろう。
ひとつは上にあるように、明らかに予測不可能性から来ている。合理的に判断すれば当然こうするだろう、とこちらが考えた通りに相手が判断/行動しなかった場合だ。もちろん、こちらが知らない情報を相手が持っていて、それに基いて合理的な判断を行ったのであれば話は別。この辺は微妙だけど、大抵の場合、その判断や行動を見れば、相手が別の情報を持っていたかどうかはわかる。頭にくるのは、どう考えてもその判断/行動に説明がつかないときだ。
頭にくるもうひとつの理由は、まだ考えがまとまっていないのだけど、たぶんそのリカバリー不可能性じゃないかと思う。非合理的な判断/行動をした相手には、その判断/行動を再考して合理的なものに修正してもらうことはあまり(というか、ほとんど)期待できない(何故なら非合理的だからだ)。だから、こちらとしては、与えられた非合理的な結果を前提に判断/行動しなければいけなくなる。当然、そのような場合の僕の判断/行動は、本来なら行えたであろう最適なものからは程遠い。それが無性に頭にくるのだろう。
と偉そうなことを書いたけど、一番あたまにくることが多い相手は自分だったりする罠。まあその場合、少なくともリカバーが可能ではあるのでまだ良いけど。
あ、でもリカバーしたつもりの結果、もっとまずい判断をしてしまう場合もあるなあ。自分に合理性を期待できないのは悲しいね。