「バーナンキの背理法」のweak form、あるいはプライマリーバランスが赤字の国においては中央銀行が単独でインフレーションを起こすことが確実に可能である件について

あるいは「金利がゼロならインフレにコミットして国債を買えばいいじゃない」の逆襲について。って例によってこんなことはきっと銅鑼衣紋さんあたりがとっくにどこかに書き込んでいることだとは思うのですが、思いついちゃったのでせっかくだから書いてみます。

金利がゼロであっても、国債等を購入し続けることによりデフレから確実に脱却できる方法としてよく挙げられるものに、「バーナンキ背理法」というものがあります。「エコノミストミシュラン」(ASIN:4872337956)115ページより引用すると、「バーナンキ背理法」とは(読みにくいので改行入れてます);

中央銀行国債を含む資産を買ってもインフレが起きない」と仮定しよう。この場合、すべての市中国債を買い取っても、さらには政府が発行する新発国債をすべて引き受けても、さらにはあらゆる資産を購入してもインフレにならないとなるため、たとえば財政支出をすべて中央銀行による国債購入代金でまかない無税での国家運営が可能となる。

しかし、この結論は誤り。従って「中央銀行がどれだけ国債や資産を買ってもインフレが起きない」というそもそもの仮定が間違っていることになり、中央銀行が市中の国債流通高をネットで減少させる規模で国債購入を継続する限り必ずインフレが発生することが証明される。

これは、バーナンキがゼロ金利のもとでも金融政策がリフレ政策として有効であることの説明で用いた。ただ、この説明を「バーナンキ背理法(reductio ad absurdum)」と名づけ、流通させたのは、日本のネット社会である。

要するに無税国家というのはあり得ないので、中央銀行国債等を買い続けていればいずれは必ずインフレになるということが確実に言えるよ、と言うことです。

ところがここでは「あり得ないこと」の例として無税国家を想定しているので、その実現には財政政策が絡む必要があります(減税や税の廃止も財政政策なので)。そのため、「バーナンキ背理法」によれば中央銀行は単独ではインフレは起こすことはできない、という見解があります。

しかしこれは、国債残高がたっぷりあり、かつ既発債がすべてなくなり国債利払い費がゼロになったとしても税収で財政支出を賄えないため毎年国債を新規に発行せざるを得ない、つまりプライマリーバランスが赤字の日本のような国に関しては、正しくありません。この点を明確に示すために、以下「バーナンキ背理法」を少し変更して、整理した形で示してみます。

1. 中央銀行国債等の資産を購入し続けてもインフレになることはない、と仮定する
2. すると、中央銀行は既発国債をすべて買い切り、その後は新発国債を買い切り続けることができることになる
3. つまり、これは政府支出を中央銀行がシニョリッジ(貨幣創造)によりファイナンスし続けることができることを意味するが、これは経験的にあり得ない
4. したがって、1の仮定は誤りであり、中央銀行国債等の資産を購入し続ければインフレになることが証明された

これは要するに、無から有は生み出せない、つまりシニョリッジでファイナンスされた政府支出はインフレ税で徴収されるという、高インフレ国ではどこでも見られる普通の現象を言っているに過ぎません。

そして注目すべきなのは、ここでは政府の追加的なアクションは全く仮定されていないことです。つまり、中央銀行の行動のみでインフレを起こすことが可能なわけです*1。協調的な財政政策の存在が前提されていない、という点で、これを『「バーナンキ背理法」のweak form』と呼びたいと思います*2

この『「バーナンキ背理法」のweak form』を考えることで得られるinsightとして、次の4つが挙げられると思います。

ひとつめは、やはりデフレからの脱却は日銀単独で確実に可能であること、という点です。もちろん財政政策の有効性を否定するものではありませんが、中央銀行単体で行えることがあるのであれば、まずはそれを実行することが重要でしょう。要するに、ゼロ金利だから、もしくは財務省が動かないから、日銀にはこれ以上できることはない、という論は明確に誤りであると考えます。

次に、ターゲット設定とコミットメントの存在の重要性を挙げたいと思います。『「バーナンキ背理法」のweak form』を前提に、中央銀行国債の買い切りを実行するだけではただの高インフレになってしまうのは明らかであり、そこには何らかの歯止めが必ず必要となります。それがインフレターゲット、あるいは物価水準ターゲットになります。

これらターゲットの存在により、望ましくない高インフレを招くことを防ぐことができます。つまり、明確にターゲットが設定されていることで政策の透明性が高まり、国債の買い切りがどのタイミングで終了するかについてマーケットに合意が形成されることを容易にし、インフレ期待がスパイラル的に上昇することを防ぐことが可能となるわけです。

また、インフレを意図的に起こすということは、通常期待されている中央銀行の責務とはまるで正反対のものなので、中央銀行が自ら宣言したことを本当に実行すると人々に信じてもらうためには、強いコミットメントが必要となります。そしてペナルティの設定はコミットメントを強化するのに通常使われるものです。

3点目として、(本来の意味での)量的緩和政策の有効性が再確認できた、という点が挙げられます。中央銀行が政府支出を貨幣創造でファイナンスする、ということは、すなわちマネタリーベースが政府支出分増加していくことになります。デフレ脱却が確認できるまでいくらでもマネタリーベースを増やしていく、というのが(本来の意味での)量的緩和政策ですから、インフレへの転換という点において両者が同じものであることは明らかでしょう。

つまり、マネタリーベースの増加は決して「ブタ積み」ではないのです。そしてこのことを考えれば、現在日銀が自主的に設定している長期国債保有残高上限規制は、量的緩和政策の有効性を徒に損なっていると言わざるを得ないことも明らかでしょう。

最後に挙げたいのは、この『「バーナンキ背理法」のweak form』は、オリジナルの「バーナンキ背理法」と同様、なんらかの具体的なモデルに依拠したものではないという点で非常にrobustである、という点です。中央銀行が政府支出をファイナンスし続けたらやがてインフレになる、という非常に当たり前のことを言っているだけなので、このことに反論するのは非常に特殊な状況を想定しない限り大変難しいでしょう。

ということで思ったよりも長くなってしまったのでこの辺で。なんだか書けば書くほど当たり前のこと過ぎて馬鹿馬鹿しくなってきてしまいました。

*1:2の点を中央銀行が宣言し実行に移した時点で、政府にはプライマリーバランスの均衡を目指すインセンティブが消失することも重要な点でしょう

*2:この場合、むしろstrong formとした方が良いのかもしれませんけど

リカードの等価命題について

おまけ。上の『「バーナンキ背理法」のweak form』を考えていたときに、リカードの等価命題が合理的期待を前提としても成立しないことを示せることに気付いた。要するに、人々が、今回の減税はいずれ(増税ではなく)貨幣創造でファイナンスされると考えていれば、その減税分は貯蓄ではなく消費に回るのが合理的な行動となるわけだ。

このことから、インフレ抑制が望ましい場合には中央銀行の独立性の存在も望ましい、ということがいえる。一方、デフレ脱却が望ましい場合には、もしかしたら中央銀行の独立性は返って邪魔なだけであることが言えるかもしれない。

つまり、例えばデフレがある期間(2四半期とか)続いた場合には、インフレに復帰するまでの期間中央銀行の独立性を一時的に剥奪し、総裁は解任の上首相が兼務、なんてことが日銀法に盛り込まれれば、まず二度とデフレになることはないだろうと思われる。

なんかあといくつかimplicationがあった気がするのだけどもまあいいや。思い出したら追記します。しかしこれもとっくに誰かが言ってるのだろうなあ。勉強不足で僕が見たことがないだけで。